2020年03月29日

薬祖神祠

阪神間の人間には兵庫県という区分けより摂津の国という枠組みの方がリアルなので、府県の境を越えるなと言われても如何ともしがたい。ましてやそこから山城の国まで毎日行っている身としては大変辛いものがある。

不要不急の外出は自粛せよとのこと。仕事に行くのは許されるらしいから、仕事のついでにちょっと寄り道するぐらいはいいのだということに決める。寺社めぐりは私のわずかでささやかかつ慎ましやかな楽しみだ。

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帰りは地下鉄四条まで乗ればいいのだが、一駅先の烏丸御池で降り、少し歩いて二条通りと両替町通りの交差点近辺まで行く。かつては薬問屋が集まっていたとの由。

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神社そのものというよりは、左右の建物のレトロぶりに感心した。

薬祖神祠は薬屋の同業者組合の祠で、祭神はヒポクラテスと炎帝神農とオオナムチノミコト(大巳貴命)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)とオオクニヌシノミコト(大国主命)である。

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ヒポクラテスを祀っているというのも、もうつっこむ気にもなれない。まあだいぶ前から知っていたし、、、

薬屋の伝統的な職能神としては中国の神農だったんだろう。大阪の道修町にも神農を祀った神社がある。
http://gompa.seesaa.net/article/405269919.html

それよりも、左右の建物のレトロぶりに感心した。

コミュニティに埋め込まれるように神社が建っているのは、京都ではよく見る風景だ。

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存在自体は30年ぐらい前から知っていて、30年ぐらい前からいつか行こうと思っていて、ふだん使っている通勤定期の範囲から一駅先まで乗ればすぐ行けるぐらい手軽に行けるので、逆にずっと行っていなかった神社。今世の中で病気のことが話題になっているな、何か病気がらみの神社に行ってみようかな、と思って、何となく足を向けたのである。不要不急の外出は自粛せよとのことだったが、仕事のついでにちょっと寄り道するぐらいはいいのだということに決めて。

アジア中どころか世界中に悲壮感が漂う中、しょぼい中年のしょぼい楽しみが何とかぎりぎり守られている幸せをかみしめる。

珍しく、賽銭をあげてしまった。25円。

*薬祖神祠
〒604-0855 京都府京都市中京区東玉屋町
(地下鉄「烏丸御池」下車、駅の北側、二条通りと両替町通りの交差点を少し西に入る。)
筆者の訪問日:2020年3月28日
posted by HIRO at 10:40| Comment(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月11日

回向院(両国)

両国の駅を降りたら着物を着たお相撲さんばかりが歩いていた。こういう風景は他で見たことがない。

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両国の回向院は、死者10万人以上を出した明暦の大火(1657年)の無縁仏を弔うために、将軍徳川家綱によって建立された。

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おそらくその死が何らか社会に影響を与え得ると政府が判断した際は、政府の手によって慰霊が行われるのだ。非常に昔なら怨霊の慰撫であろうし、近代以降なら戦没者の追悼である。災害による大量の死者に対する配慮は今でも一大事であるが、江戸期もそうだったようである。

その後も、大規模災害による犠牲者の供養が行われた他、刑死者や牢死者もここで埋葬された(鈴木 2012:144-145)。

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それでとにかく色んな墓がある寺になっている。殉難者の墓もあるし、有名人の墓もあるし、ペットの墓もあるし、、、

ただ、慰霊のために建てられた寺は、特定の檀家を資金源とすることができない。楽しいイベントを通じて、客集めに勤しんだ。

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両国に国技館が建てられ、相撲部屋が集まっているのは、そもそも回向院境内で相撲の興行が行われたからである。境内の小屋掛けには五千人の観客が集まったという(Ibid:149-150)。

では、参拝客自体はどのように集めるか。成り立ちからして霊験や現世利益を喧伝できるわけではない。それで、「出開帳」を通じて、他所から霊験や現世利益を借りて来たのである。

神仏の厨子を開いて、ふだん秘仏となっている本尊・祖師像の参拝を許可することを開帳というが、他の寺社に出張して開帳することを出開帳という。

江戸時代に出開帳を受け入れた寺社は、深川永代寺58回、湯島天神31回、浅草寺27回、音羽護国寺25回。それらと比べても回向院の出開帳は飛びぬけて多く、166回である(Ibid:153)。

近年も東日本大震災復興支援のための出開帳(長野善光寺や気仙沼地福寺)をやっている。

出開帳というのは、美術館や博物館で有名寺院の宝物を展示することに取って代わられたと思っていた。江戸時代のようにお寺の中で他のお寺の仏像を拝ませるというのは非常に珍しいのではないか。

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東日本大震災復興支援も、出開帳も、両方とも回向院の歴史を十分に踏まえているのが面白い。

参考文献
鈴木一夫 2012『大江戸寺社繁盛記』中公文庫.

*回向院(両国)
仏教 浄土宗
〒130-0026 東京都墨田区両国2-8-10
(JR総武線「両国」の西口改札を出て、目の前の大きな通りを左にまっすぐ進むと3分で到着する。)
03-3634-7776
管理人の訪問日:2017年5月22日
posted by HIRO at 21:15| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月06日

錫伯族家廟(太平寺)

そもそも、仏教寺院というのは本来の趣旨からいえば僧侶が修行をする場所であり、神仏を祭祀する場所でもなく、死者の追悼儀式をする場所でもないはずだが、アジア各地の多くの寺院でこれらが混同されている。

その点、チベット仏教では比較的原則が守られている。寺院は基本僧侶の勉学の場であり、僧侶が葬式はやるけれども墓や位牌は造らない、、、

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と、思っていた。だから、特定の民族の祖先崇拝と結びついたチベット仏教ゲルク派寺院が瀋陽にあると知って、大変興味を引かれた。

通称は「シボ族(錫伯族)家廟」。シボ族はもともと東北に住んでいたツングース系の人々で、16世紀、ヌルハチの時代に八旗に編入された。

実は筆者はシボ族と満州族がどう違うのかよく分かっていない。通婚していただろうし、非常に近い関係にあるようだ。

これを書いても守秘義務云々にはならないと思うが、筆者は現在日本語学校で仕事をしており、時折中国から留学する予定の学生が提出する戸籍などの書類のチェックをする。東北の学生は「漢族」以外にも割と「満州族」「シボ族」が多い。ただ両親のどちらかはたいてい漢族である。会っても周囲の漢族と同じ、というか、彼ら彼女らが来日する頃には誰が満州族で誰がシボ族だったかこちらは忘れている。このような少数民族の「漢化」の激しさは、筆者が青海のチベット人地区に居た時には見聞しなかった(そのうちチベットでも見聞するようになるのか?)。

とはいえ、筆者が学生だった時、清朝史の学者はシボ族出身者が多いと聞いたことがある。

1764年に乾隆帝の命令でシボ族の一部が辺境防衛のために新疆イリに移住させられた。周囲のイスラム文化の中で孤島のように旗人の文化が保存され、今でも新疆のシボ族には比較的満洲語が読める人が多いらしい。満州族の間で満州語ができる人がほとんどいなくなったのにも関わらず、である。

そのシボの人々がお金を出し合い、康煕年間、盛京(瀋陽)の実勝寺の近くに自分たちの家廟を建立した。これを太平寺といい、現在通称を「シボ族(錫伯族)家廟」という。

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で、出張で瀋陽に行った折にその寺に行ってみた。寺というよりもシボ族文化の展示館である。瀋陽市がお金を出してこのようにしたとのこと(中華人民共和国国家民族事務委員会 2014)。入口を入ると奇妙な銅像が目に入り、これがシボ族が新疆に遣られた際の行軍の有様を表現しているらしい。奥の建物にはシボ族祖先の位牌なるものが中に祀ってあり、その前に「シボ族西遷254周年」とかいう中途半端な数字を記念した幕がかかっている。

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行政の肝いりで毎年全国各地のシボ族がここに集まってイベントをやっているらしく、その時のものである。

展示の中にはシボ族の宗教がシャーマニズムとか関帝崇拝とか仏教とか色んなもののシンクレティズムだとか、いうことが紹介されていた。

狐仙を祀った堂宇もあったようだ。往時の知識人の基準では動物霊を祀ることは「淫祀」となるはずだが、旗人も華北の民間信仰の影響を存分に受けていた。

http://gompa.seesaa.net/article/395288655.html

ある建物には「シャーマン堂」と書いてあったので、ここでシャーマニズムの儀式をやるのかもしれない。のぞけばツォンカパ像が祀ってあったから、やっぱりチベット仏教寺院であることに間違いはない。

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表向き仏教で、実は「祖先崇拝+原始宗教」というのは日本仏教も同じである。一年に一回親戚が集まって先祖を記念するイベントをするのも同じである。現代のシボ族はさほど宗教に関心のない人が多いみたいなのだが、それでもイベントには集まって来る、というのも日本と同じである。

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中国当局にしてみれば、新疆もチベットも中国で、シボ族の存在はその象徴みたいなものである。大々的に宣伝しない手はない。

関係ないけど、今年はいつから留学生が来日できるのだろうか。私は瀋陽に行く機会があるのだろうか。

参考文献
中華人民共和国国家民族事務委員会 2014「遼寧省瀋陽錫伯家廟」「中華人民共和国国家民族事務委員会」
http://www.seac.gov.cn/seac/mztj/201403/1012256.shtml

*錫伯族家廟(太平寺)
仏教 チベット仏教 ゲルク派
中国遼寧省瀋陽市和平区皇寺路一段太平里21号。
(地下鉄2号線「市府広場」下車。市府大路を少し東進、北三経街で北上、皇寺路との交差点まで行くと、実勝寺がある。実勝寺の前の道を少し西に入る。)
管理人の訪問日:2019年4月27日
posted by HIRO at 21:37| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする