2018年08月14日

万福寺(大阪下寺町)

豊臣氏から大坂城をとった徳川氏は、大坂城が南からの攻撃に弱いことを危惧していた。実際、徳川は茶臼山から攻めてこの城を落としたのだ。

16世紀中に幕府の大坂城代が採った対策は、城の南に寺を集めることだった。「土塀に囲まれ、頑丈な門、広い敷地と建物を持つ寺院は軍勢の終結・駐留・防衛に適しており、密集すれば防衛線になる。」(本渡 2010:114)それで今でも寺ばかりの区域「寺町」が残っている。

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だから、昔の寺町の寺というのは、大きくて軍隊が駐留できるような場所だったのだろう。しかし、今の寺町にある寺は、だいたい小さな境内地にお堂とお墓が密集しているといった体で、とてもそんな役に立ちそうにない。

ただ、下寺町の万福寺だけは「防衛線」時代の名残をとどめている。確かにデカくいかめしく、強そうな感じがした。なかなか攻め落とすのは大変そうだ。新選組が大坂に来た時の宿泊所に使われたという。

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広い敷地の中には大きな本堂があり、豪勢な庭園があった。しかし、土塀と頑丈な門はヒロイケの侵入を許さなかった。強面のお寺は、あまり気軽でない感じの方がよろしい。

では、万福寺は大坂城を守るのに役に立ったのか。そもそも江戸時代を通じて徳川氏の大坂城が攻められるようなことはなかった。明治維新の際に幕軍が朝廷に大坂城をあけ渡した際も、戦闘はしていない。寺町が軍事的に使用される場面はなかったわけである。

ちなみに、大坂夏の陣以降、大坂城(大阪城)が再び軍事目標となるのはずっと後の第二次大戦の時だ。終戦すれすれ1945年8月14日に米軍に空爆され、甚大な被害を蒙っている。

寺町による大阪城の守りは、空からの攻撃には無力だった。当たり前だけど。

参考文献
本渡章2010『大阪古地図むかし案内 読み解き大坂大絵図』創元社.

*万福寺(大阪下寺町)
仏教 単立
〒543-0076 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-3-82
電話番号 06-6771-2183
(近鉄「日本橋」より徒歩10分。松屋町筋沿い。)
管理人の訪問日:2015年3月10日
ラベル:日本 大阪 仏教
posted by HIRO at 10:25| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする