2018年11月27日

万福寺(宇治)

山門を出れば日本ぞ茶摘うた、、、

江戸時代の俳人・田上菊舎にこう詠まれた黄檗宗の大本山・万福寺は、当時から中国風のお寺だと思われていた。

万福寺8.jpg


ただ、日本の仏教というのはすべてインドから中国経由で、朝鮮半島を経由する場合でもその前は必ず中国を通って来たわけだから、日本にあるお寺はすべて中国風のはず。本来日本風、中国風というのもおかしな話だ。ただ、万福寺を創建した隠元が17世紀の人で、他の宗派よりも比較的新しい時代の中国文化を伝えているから、中国風に感じられるのである。

私が最初に万福寺を訪問したのは高校生の頃か。エキゾチックな雰囲気に驚かされたのを覚えている。建築や仏像、鎮守の神様に至るまで、全く他の日本寺院と違うのである。見たことがないものがいっぱいあった。例えば、魚板というユーモラスな魚の作り物は、叩いて禅僧に時刻を知らせるのだという。祖父の影響で中国文化が好きだった私は大興奮した。

あれから、大学時代に初めて憧れの中国を訪問し、留学や仕事で都合9年半中国に住んだが、その間少しく中国の仏寺を見学した。故あって帰国し、今は京都市内の学校に勤めている。

ふと久しぶりに宇治まで足をのばそうと思い、30年ぶりの万福寺。再訪問の第一印象は、、、

万福寺5.jpg


ジャパ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ン!!!!!!!!!!

山門を抜けると、そこは日本だった。

万福寺1.jpg


確かに建築は中国風なのだろう。伽藍配置も、鐘楼に加えて鼓楼があるところも。床に敷かれたタイルは通常日本で使われないものらしい。ただし、木の風合いや、扁額の字がかすれて古色蒼然としている様子は、あまりかの国で見られるものではない。

万福寺4.jpg


仏像は明清の様式らしい。しかし、博物館の展示品のようになった古仏をずっとそのまま置いておくのは日本的な発想ではないか。色落ちしたら、その色落ちしたのが有難い、みたいな、、、

万福寺7.jpg


なるほど伽藍堂には道教系の神格が祀られている。(再訪時は改修中で見られなかったが)一方で庭の一角に鳥居と祠が建立され、八幡神が祀られていた。仏教、道教、神道のシンクレティズムというわけだ。

改めて万福寺の魚板を見た時、初めて見た高校時分の新鮮さはさすがになかった。今では日本の禅宗寺院にもあるものだと知っている。中国のお寺ではありふれたものだが、向こうでは何故かカラフルに彩色されているのが多かった。万福寺の古い魚板は木の質感を大切にしており、長年使いこまれた風格が出ている。

http://gompa.seesaa.net/article/396416010.html
http://gompa.seesaa.net/article/395771110.html

いや、とにかく全体的にくすんだ、枯れた感じがするのだ。中国の仏寺の原色のどぎつい有様とは実に対照的である。文革の影響でかの国に古い文物が残っていないという事情を考慮しても、色遣いの違いは明らかだ。創建されて三百数十年たつ万福寺は、わびさびをよしとする日本の禅文化に、すっかり染まってしまったのではないか。

それでも、、、、一つどうしても気にかかるのは、あの布袋様、、、、万福寺天王殿正面に鎮座する弥勒菩薩の化身としての布袋和尚像の笑みである。

万福寺9.jpg


中国製の布袋像と日本製の布袋像の最大の違いは、中国製の方が「性格が悪そう」ということだ。17世紀に中国人仏師が製作したこの万福寺の布袋像も、不気味でいやらしいニタニタ笑いを浮かべている。

http://gompa.seesaa.net/article/374917204.html
http://gompa.seesaa.net/article/450507887.html

今の万福寺では七福神の一つとしてこの和尚を売り出しているので、日本風の受容のされ方をしていると言えよう。(七福神は日本独特の信仰だから)それでも、おおらかさや優しさを布袋さんに期待して来る日本人の度肝を抜くには十分だ。ちょっとホラーチックな、ひそやかな毒っ気がたまらない。

ここはものすごく中国らしいところ。

日本の仏教というのはすべてインドから中国経由で、朝鮮半島を経由する場合でもその前は必ず中国を通って来たわけだから、日本にあるお寺はすべて中国風のはず。本来日本風、中国風というのもおかしな話で、欧米人が見たら似たようなものかもしれない。しかし、色々と微細な違いが気になるというのも、又楽しからずやである。

万福寺3.jpg


◎万福寺(宇治)
仏教 黄檗宗
611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34
0774-32-3900
(JR奈良線「黄檗」下車、京阪宇治線「黄檗」駅下車それぞれ東へ徒歩5分ほど。)
管理人の訪問日:2018年10月6日
posted by HIRO at 21:01| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月25日

黄梅院

大徳寺は言わずと知れた臨済宗の大刹。塔頭がたくさんあって、それぞれ庭だの仏像だの茶室だの、由緒正しき宝物を有している。一般には公開していたり公開していなかったり、時期限定で特別公開していたりする。

私が行ったときは色々公開していたのだが、何となく特別公開していた「黄梅院」というのを見ることにする。

黄梅院1.jpg


拝観料を払うと、入口スペースの庭のみ撮影可と言われる。京都市内の寺院では「縁側から庭」撮影可というのが多いが、それはダメらしい。

黄梅院2.jpg


で、屋内に入るとあまりに綺麗なのにちょっとびっくりする。もちろんこういう所が綺麗なのは当然なのだが、畳も廊下もぴかぴかで真新しく、禅寺の古さびた枯れた感じがないのはびっくりだ。

ちょっと寺族の生活感が出ていたり、その寺を紹介した古い雑誌の切り抜きが貼ってあってそれを貼ったセロテープの端が黄色くなってはがれかけていたり、ということもない。

豊臣秀吉が改築した本堂、小早川隆景が寄進した門、武野紹鴎が作った茶室、千利休が作った庭、、、、誰それがどうこうした絢爛豪華な何々が続く。

何人か解説者がいたが、皆有能そうな中年京都人女性だった。お上品な京都弁で立て板に水を流すように話して、少しもかまない。プロだ。

ボランティアの学生やおじいさんの説明がたどたどしかったり、何十年前かの住職の吹き込んだテープレコーダーの声が割れていて聞き取れなかったりするのが醸し出す妙な味わいは皆無である。

私のすぐ前を歩いていた小学校三年ぐらいの女の子が、庭や茶室を感心したように見入って母親に「きれいね」などと言っている。あの年で枯山水のよさが「理解できる」のも、「理解しているふりができる」のも、「理解している風を装うと大人が喜ぶのを知っている」のも大したものだと思う。私は子供の頃もっとアホだったから。少女が枯山水のよさを「理解している」のか、「理解しているふりをしている」のかは分からないが、「理解している風を装うと大人が喜ぶのを知っている」のは確かだろう。

黄梅院3.jpg


そして何となくああいう子は、部屋に古い雑誌の切り抜きが貼ってあったり音の割れたテープレコーダーの解説が流れていたりするよりも、畳が真新しかったりプロが立て板に水を流すように説明していたりする方が好きなのだろうなと推測する。

まあ好みも能力もそれぞれということで。人間だもの。

◎黄梅院
仏教 臨済宗 大徳寺派 大徳寺塔頭
603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺80
075-231-7015
(京都市バス204「大徳寺前」下車すぐ。)
管理人の訪問日:2018年11月24日
posted by HIRO at 17:11| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月24日

達磨大明神(上七軒)

京都五花街の一つ、上七軒の歌舞練場の近くで、「達磨大明神」なる祠を見て、どういうことかと思った。

達磨大明神.jpg


いや、達磨を宗教的に祀ること自体は一向不思議ではないのである。達磨大師はインドから中国に渡来した僧侶で、禅宗の祖である。祖師や高僧の像を造って拝むのは、大乗仏教圏各地で見られる。実際、達磨像を安置した禅寺は多い。

しかるに、これは「大師」という僧侶につける敬称ではなく、「大明神」という神につける尊称である。確かに、日本は神仏習合が盛んであるから、そういうこともあるかもしれない。しかし、「八幡大菩薩」のように神道の神格に仏教風の称号が付く場合はあっても、逆は聞いたことがない。

そもそもこれはあの禅宗の祖師達磨大師のことではないのか。達磨は日本では通常高僧ではなく、おきあがりこぼしの玩具あるいは縁起物、飾り物としてとらえられる。

『広辞苑』を引いたら、「達磨(だるま)」の意味の一つに、「下等な売春婦の異称」とある。何故?『日本国語大辞典』では「売春婦。すぐころぶところからいう。」と書いてある。売春婦はすぐ転ぶのか?「転ぶ」を『日本国語大辞典』で引いたら、「芸者、遊女、しろうと女などがひそかに売色する」とある。職業ならそうなるであろう。

上七軒の「達磨大明神」がこの意味の「達磨」だとすれば、すごい反骨精神だ。

今はもうちょっとイノセントな感じの観光地になっているが、その心は生きているのかもしれない、、、と、安全なところからきれいごとを言える有難さを噛みしめる。

*達磨大明神(上七軒)
〒602-8381 京都府京都市上京区今出川七本松西入真盛
(市バス50、203「上七軒」下車。上七軒歌舞練場近く。)
管理人の訪問日:2017年11月12日
posted by HIRO at 21:09| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする