2018年11月25日

黄梅院

大徳寺は言わずと知れた臨済宗の大刹。塔頭がたくさんあって、それぞれ庭だの仏像だの茶室だの、由緒正しき宝物を有している。一般には公開していたり公開していなかったり、時期限定で特別公開していたりする。

私が行ったときは色々公開していたのだが、何となく特別公開していた「黄梅院」というのを見ることにする。

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拝観料を払うと、入口スペースの庭のみ撮影可と言われる。京都市内の寺院では「縁側から庭」撮影可というのが多いが、それはダメらしい。

黄梅院2.jpg


で、屋内に入るとあまりに綺麗なのにちょっとびっくりする。もちろんこういう所が綺麗なのは当然なのだが、畳も廊下もぴかぴかで真新しく、禅寺の古さびた枯れた感じがないのはびっくりだ。

ちょっと寺族の生活感が出ていたり、その寺を紹介した古い雑誌の切り抜きが貼ってあってそれを貼ったセロテープの端が黄色くなってはがれかけていたり、ということもない。

豊臣秀吉が改築した本堂、小早川隆景が寄進した門、武野紹鴎が作った茶室、千利休が作った庭、、、、誰それがどうこうした絢爛豪華な何々が続く。

何人か解説者がいたが、皆有能そうな中年京都人女性だった。お上品な京都弁で立て板に水を流すように話して、少しもかまない。プロだ。

ボランティアの学生やおじいさんの説明がたどたどしかったり、何十年前かの住職の吹き込んだテープレコーダーの声が割れていて聞き取れなかったりするのが醸し出す妙な味わいは皆無である。

私のすぐ前を歩いていた小学校三年ぐらいの女の子が、庭や茶室を感心したように見入って母親に「きれいね」などと言っている。あの年で枯山水のよさが「理解できる」のも、「理解しているふりができる」のも、「理解している風を装うと大人が喜ぶのを知っている」のも大したものだと思う。私は子供の頃もっとアホだったから。少女が枯山水のよさを「理解している」のか、「理解しているふりをしている」のかは分からないが、「理解している風を装うと大人が喜ぶのを知っている」のは確かだろう。

黄梅院3.jpg


そして何となくああいう子は、部屋に古い雑誌の切り抜きが貼ってあったり音の割れたテープレコーダーの解説が流れていたりするよりも、畳が真新しかったりプロが立て板に水を流すように説明していたりする方が好きなのだろうなと推測する。

まあ好みも能力もそれぞれということで。人間だもの。

◎黄梅院
仏教 臨済宗 大徳寺派 大徳寺塔頭
603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺80
075-231-7015
(京都市バス204「大徳寺前」下車すぐ。)
管理人の訪問日:2018年11月24日
posted by HIRO at 17:11| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする