2019年01月09日

広田神社

兵庫県西宮市の広田神社は、正々堂々たる由緒と格式を誇る神社である。日本書紀にも登場する。祭神はアマテラスオオミカミ(天照大御神)の荒魂(あらみたま)ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメノミコト(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)。神功皇后の三韓出兵の折、アマテラスオオミカミの神託により、荒魂が当地に祀られたのが創祀とされる。

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平安時代に延喜式内明神大社に列し、又二十二社の中に入れられた。明治以降は官幣大社になっている。和歌に霊験ありとされた。

その、由緒と格式ある神社は、微妙な場所にある。いや、行こうと思えばすぐ行けるのだが、山裾の住宅地の中で、最寄り駅から歩いで行ける距離でもない。そういう立地の問題もあってか、近隣の生田神社や西宮神社のように色んな所から参拝者が集まってくるような様子はない。基本的にコミュニティのための神社になっているようだ。

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確かに立派な神社で、石鳥居も大きい。その鳥居の脇にクラシックカーが何台も陳列している意図は些か図りかねた。

今は和歌に霊験ありと言ってもさほどアピールできないだろう。阪神タイガースの必勝祈願をやるとかで、例のトラのマークの絵馬の宣伝が立っていた。

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この、試行錯誤してがんばってる感じ、一生懸命にメジャーな地位を取り戻そうともがいている感じに触れると、どうしても思い出してしまうのは、同じ西宮市内の西宮神社のことである。

西宮神社はエビス神の総本社だが、もともとこの広田神社の末社であった。西宮神社が広田神社から独立したのは1874(明治7)年だ。しかし鎌倉時代からエビス信仰で繁栄し、十日戎の三日間で百万人を集めると言われる西宮神社と広田神社とでは、その勢力の差は歴然としている。

これは広田神社側も強く意識していると思われる。広田神社で頒布している神社略記「『廣田神社』の歴史と『西宮』」では、「西宮」の地名の起源が広田神社の別称から来ていることを強調しているが、これも西宮神社への対抗心の表れではないか。「西宮」の地名は西宮神社から来ていると言われることもあるのだし(例えば小学館『日本歴史大辞典』の「西宮神社」の項)、実際に今の神社名に「西宮」を冠しているのは西宮神社の方である。

また、この神社略記では、「廣田神社の御神徳」として祭神のアマテラスオオカミ(天照大御神)について述べているが、その中に「伊弉諾・伊弉冉二尊の第一子として生まれながら、不遇の御子として流棄され、御子神の数にさえ入れられなかった蛭子命を、大黒様と並ぶ福神として、多くの庶民の崇敬を集める戎大神となしたことから、(中略)子供達の健全育成の大神として崇敬されます」という一節がある。

主語は「アマテラスオオミカミ」であり、「子供達の健全育成の大神」は「アマテラスオオミカミ」である。

これは、記紀神話で両親のイザナギ(伊弉諾)・イザナミ(伊弉冉)に遺棄されたヒルコ(蛭子)が福神のエビス(戎)になったという伝説を踏まえている。それを広田神社に祀られているアマテラスオオミカミの功績にしているところが広田神社のオリジナルである。

さらに注目すべきは、「第一子として生まれながら、不遇の御子として流棄され、御子神の数にさえ入れられなかった」という部分である。

西宮のエビス神はしばしば「戎三郎」の名で信仰された。本当は、「戎」と「三郎」は別の神だという説もあるが、ヒルコが『日本書紀』の記述においてイザナギ・イザナミの第三子であることと結びつけられた。しかし、『古事記』では第一子である。広田神社が書くように「第一子だが、数に入れられない」のであれば、「戎三郎」という言い方自体が成り立たなくなる。

ここに、西宮神社のエビス信仰に対する「悪意」とは言わないまでも、ちょっぴりほのかな意地悪を感じてしまうのは私だけだろうか。

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さらに略記の次の下りでは、「廣田大御神の御守護を受けた、蛭子命は福神・戎大神となり、(中略)立身出世・登位昇進の大神と崇敬されます」と書かれる。「廣田大御神」は広田神社の祭神としてのアマテラスオオミカミ(天照大御神)であろう。ここでもエビスを通して広田神社の祭神のご利益が説明されているわけである。

試行錯誤してがんばってる感じ、一生懸命にメジャーな地位を取り戻そうともがいている感じ。そして、「今は分家のあちらの方が目立っているかもしれないが、本家はこちらなのだ」と主張するプライドは忘れない。

広田神社は、正々堂々たる由緒と格式を誇る神社である。

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*広田神社
神道
〒662-0867 兵庫県西宮市大社町7番7号
0798-74-3489
(阪急「西宮北口」南口より、阪急バス甲東園行き乗車、「広田神社前」下車。) 
管理人の訪問日:2018年7月29日
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2019年01月05日

今戸神社

神社は色んなご利益を売り物にしているが、病気治しなど健康関係をご利益にしている所は苦戦を強いられている感がある。身体の問題で神頼みをする人は今でも多いだろうが、昔より医療の比重が高まっているのは確かである。それで、今日では多くの神社が「縁結び」といった科学の発達で解決できそうもないものをアピールしているのだ。

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その中でも浅草の今戸神社は最も成功している神社の一つである。

境内に懸けられている大量の絵馬。円形の独特の絵馬の数々をざっと見る限りでは、祈願内容はほぼすべて「縁結び」である。他の神社では合格祈願とか病気治しとか家内安全とか色んなものが混じるのだが、今戸神社では「縁結び」一色である。それも「彼氏ほしい」といったストレートな願いが多かった。

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招き猫の発祥の地ということになっていて、可愛らしい猫の作り物が多く、ベンチや鉢植えなどのしつらえもおそらく若い女性の好みに合わせたものと見える。

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ただ、縁結びをアピールするようになったのは近年らしい。

神社の公式ホームページによれば、祭神は応神天皇・イザナギノミコト(伊弉諾尊)・イザナミノミコト(伊弉冉尊)・福禄寿(今戸神社 n.d.)。

ここは1063年建立。京都の石清水八幡を勧請して、「今戸八幡」という名前になった。八幡神社だから応神天皇が祭神に入っている。

で、1937年に、近くの白山神社を合祀して今戸神社と改称。それで祭神にイザナギ・イザナミが入っている。

この白山神社は浅草新町の弾左衛門ゆかりの白山神社である。白山神社は通常ククリヒメ・イザナギ・イザナミの三柱を祭神にしているが、浅草新町の白山大権現はイザナギ・イザナミの二柱で、疱瘡治しの霊験ありとされていたようだ(横稲荷 2012)。

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1937年に合祀された当初からとは思えないが、いずれにせよ縁結びの神社とされたのはイザナギ・イザナミの夫婦神が祭神になったことがきっかけなのだろう。喧嘩別れした夫婦だが、他の多くの神社でも夫婦和合とか縁結びを司るという設定になっている。今戸神社では、白山信仰や疱瘡除けの伝統と無関係に、記紀神話とのからみで縁結びに霊験ありという話になった。

そうなると、今度は八幡神の強面過ぎるのが気になったようだ。今戸神社の公式ホームページによれば、八幡信仰は「一般には武運長久の霊験と思われています」としつつ、応神天皇とその母神功皇后の母子の情愛から、慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としているそうである(今戸神社 n.d.)。「縁結び」を強調するためにソフトなイメージを出したのに相違ない。

「この神社はこういう歴史があるからこうなんですよ」とただ伝統に乗っかっているだけではダメで、神社経営には不断の努力が必要なのだと分かる。まあ作文能力というやつか。

あと、七福神巡りをやってもらうために福禄寿を祀っている(Ibid)。これだけちょっと唐突感があるけれど。

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参考文献
横稲荷稲蔵 2012「今戸神社」『白い参拝記 埼玉の白山神社を巡る』(2012-09-19)
http://893ginger.blog55.fc2.com/blog-entry-332.html
今戸神社 n.d.『今戸神社 公式ホームページ』
https://imadojinja1063.crayonsite.net/

*今戸神社
神道
〒111-0024東京都台東区今戸1-5-22
03-3872-2703
(東京メトロ銀座線など「浅草」駅より徒歩15分。松屋浅草デパートの建物の右手に沿って走る江戸通りを北上。台東リバーサイドスポーツセンターのある交差点を左斜めに入ってすぐ。)
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2019年01月04日

聴松院

南禅寺の塔頭に摩利支天を祀っている所がある。聴松院という寺である。

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摩利支天堂といえば、京都では建仁寺の禅居庵が有名なのだが、ここにもあったのかと思った。寺を最初に造った中国人のお坊さん(清拙正澄⦅1274-1339⦆)が同じ人で、その人が摩利支天を中国から持って来たらしい。(二つも?)

ただ、聴松院は禅居庵と違って商売っ気がない。南禅寺から永観堂に行く道すがらにあるので人は多いし、自由に入って来られるのだが、来る人拒まず去る人追わず、という感じ。

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仏像の拝観が出来るわけではないのだが、小ざっぱり小ぢんまりとした庭先が見られる。

私が出て行ったら、何だ何だと白人観光客の親子が入って行った。

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*聴松院(南禅寺塔頭)
仏教 臨済宗南禅寺派 南禅寺塔頭
〒606-8435 京都市左京区南禅寺福地町  
075-761-2186
(地下鉄東西線「蹴上」下車。「ねじりまんぽ」隧道を抜けて北上して南禅寺境内に入り、鹿ケ谷道を北東方向に進む。)
管理人の訪問日:2018年5月26日
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