2020年05月23日

新日吉神宮

大阪の大宮神社で江戸期の豊臣秀吉像が発見された。

秀吉は死後豊国社に神として祀られるが、1615年、徳川の世になってその神号は剥奪された。秀吉の神社が復興したのは明治になってからである。

http://gompa.seesaa.net/article/440832688.html

今回発見されたのは17世紀か18世紀の木像で、1615年の禁制以降の作である可能性が高い。関西大の長谷洋一教授(日本彫刻史)は「江戸時代の隠れた秀吉信仰を知る貴重な手がかりだ」と言っている(読売新聞 2020)。

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この神社には行ったことがない。ここで思い出すのは少し前、京都の新日吉神宮を訪れた時のことである。

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祭神は日吉山王七神と後白河天皇。まあ、それはいい。日吉丸とも関係があるのだ。

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摂社に豊国神社というのがあって、豊臣秀吉を祀っている。それはいいのだが、神社内で見られる説明では、これを「1615年豊国社が廃止された時ひそかにご神体を遷して祀った」と主張していた。確かに阿弥陀が峰のもとの豊国社は距離的に近くだが、、、

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私の当時の日記には「本当かな、後からいくらでも言える」と書いてある。

徳川の世が終わり、明治になって秀吉の再顕彰が行われた。その時になって「実は江戸時代もずっと秘密裏に秀吉を祀っていたんですよ」と名乗り出る。明治になってからだと危険性がないばかりかむしろ徳川幕府を倒した当時の政権に対するアピールになるし、捏造だって簡単だ。「創られた伝統」というやつではないか。

、、、と、思ったのだ。

だが、「江戸期のひそかな秀吉信仰」というのは本当にあった。独り脳内で鬼の首をとるのも簡単である。どうやら冷笑され、嘲笑されるべきは筆者のようですね。ふう。

まあでも、、、とは思うのだ。異なる見方もできるかもしれない。

大阪市のホームページでは、今回見つかった大宮神社の木像と、18世紀末から19世紀初めにかけての『絵本太閤記』を通じた秀吉ブームとの関連を指摘(大阪市 2020)。出版物やら浄瑠璃やらのサブカル的な流行が起源なら、「大阪落城から幕府の目を盗んでどうのこうの」という歴史ロマンとはだいぶイメージが違う。

新日吉神宮の言ってるのは、「1615年からひそかにずっと」である。阿Qは中国人の専売特許ではない。「精神的勝利法」の亡者の脳内で、鬼の首が又ふつふつと頭をもたげる。

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大宮神社の木像は、新型コロナウイルスの問題が落ち着けば一般公開が検討されるというから、是非見に行きたい。

参考文献
大阪市 2020「報道発表資料 全国最大級の豊臣秀吉像(豊国大明神像)が大阪市内で新たに発見されました」『大阪市』
https://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000501862.html
読売新聞 2020「大阪の神社に秀吉の木製坐像、江戸期最大級…「隠れた信仰知る貴重な手がかり」」『読売新聞(電子版)』2020.5.22.
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200522-OYT1T50143/

*新日吉神宮
神道
〒605-0932 京都府京都市東山区妙法院前側町451−1
075-561-3769
(市バス「東山七条」下車。妙法院と智積院の間の小さい道を東へ徒歩約5分。)
筆者の訪問日:2018年12月22日
posted by HIRO at 11:59| Comment(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする