2014年04月28日

顔廟

儒教
中国山東省曲阜市鼓楼北街4号
バス5路「顔廟」
管理人の訪問日:2011年8月10日

生前の父は、私をよく孔子の弟子の「顔回」に例えていた。

子曰。賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂。回 也不改其楽。賢哉回也。(『論語』雍也第六)

ボロい所に住み、粗食に耐えて結構楽しそうなので、孔子に「すごいなあ!」と言われている。なるほど、何かしょぼいところが私に似ている。

残念ながらしょぼくて貧相なところ以外は何も似ていない。「一を聞いて十を知る」と言われたような顔回の才能が私に有る訳ではない。しかし父が何度も顔回顔回言うので、顔回には何となく親近感があった。

子謂子貢曰。汝與回也孰愈。對曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。子曰。弗如也。吾與汝弗如也。(『論語』公冶長第五)

その顔回を祀った顔廟というところに行ってみた。

これがまた曲阜という一大観光地にあって、かわいそうな位客が入っていない。というか、私が行った時は私一人しかいなかった。

入場券を売る場所にも人がおらず、売り子のおばちゃんは入口の敷居の上でおっちゃんと何か食って談笑しながら券を売っている。妙に自由な感じである。

本堂のような所には帝王の姿をした顔回像が鎮座していたが、それが又中国の廟にありがちなキッチュでチープな極彩色の石膏像で、がらんとした大きな堂宇で妙な物悲しさを醸し出していた。私が心の中で「昭和的」と呼んでいる物悲しさだ。

中国ではキンキラキンの仏像や、お金をもたらすと評判の神様はとても人気があって、中国人はそのような神仏をこそ熱心に拝する。一方、顔回のような「清く貧しく、、、」みたいな人はどうもスルーされがちだ。

しょぼいところだけ顔回に似ている私は苦笑い。ますます顔回に親近感がわく。
ラベル:儒教 山東 中国
posted by HIRO at 18:18| Comment(0) | 儒教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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