2014年06月24日

伊居太神社

一言でいうと、「すてき」ということだ。

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まるで狐に化かされて昔話の世界に迷い込んだかのよう。ついさっきまでごくごく日常的な世界、商店街や住宅街の中を歩いていた。今は目の前に絢爛豪華な日本建築がずらりと並んでいる。

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中国の呉から日本に機織り技術を伝えた「穴織媛(アヤハトリノヒメ)」を祭る神社。「伊居田神社」と書いて「いこたじんじゃ」と読むところもあるのだけれど、こちらは「いけだじんじゃ」と読ませる。

社伝によれば、大昔の日本の天皇が、中国の呉の王に機織りの技術者派遣を要請したところ、数名が日本に送られたのだという。アヤハトリはそのうちの一人で、この池田の地で地元の人々に機織りを教えて没した。彼女(たち)に相当する渡来人は、何らかの形で実在したのだろう。鑑真和上クラス、あるいはそれ以上の功労者だ。

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池田市最古の神社で、10世紀の「延喜式」に載っているという説もある。織田信長に焼かれてしまったが、1604年に豊臣秀頼が再建したとのこと。この時秀頼が造った本殿は「寄棟造り」というらしいのだが、とてもゴージャスだ(池田市観光協会n.d.)徳川家康が豊臣家の力を削ぐために、秀頼に寺社の修復をさせてお金を使わせた、みたいな話は歴史の時間に習った。だからゴージャスなんだ。

岩井裕實によれば、機織りや手芸の技術の向上を願って、杼(ひ)をあしらった絵馬を奉納するという習慣があったそうである(岩井1989:115)。機織りを日本に伝えた先生だったから、皆がその力を頼ったということだ。

しかし今は、この神社のどこを見てもそんな絵馬は見えない。「お裁縫がうまくなりたいよ」という人は少なくなっただろうし、「機織りが上手になりたいなあ」と思う人はほとんどいなくなっただろう。

そういえば、中国の黄道婆も上海松江の出身だから、「呉の人」ということになるだろうか。彼女も遠い海南島から紡織技術をもたらし、その道の職能神として信仰された。時代の変化によって、祈願をする人がいなくなった、という所まで同じ。
http://gompa.seesaa.net/article/394799788.html

しかし、信心の場としてはほとんど廃れてしまった黄道婆廟と違って、伊居田神社はちゃんと神社として存続している。

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私が訪れた時は他の人はいなくてひっそりしていたが、境内が荒れている感じはなくて、きちんと手入れされていた。町内会の人たちが神社を守っているようだ。

そう考えると、今こんなにすてきな神社をわたしたちが拝めるのは、たくさんの人たちのおかげだということになる。アヤハトリさん、秀頼さん、ご近所の皆さんに、感謝!

あ、それから家康さんにも、感謝!

参考文献
池田市観光協会n.d.「伊居太神社(いけだじんじゃ)」
http://www.ikedashi-kanko.jp/recommend-spot15.html
岩井宏實1989『暮しの中の神さん仏さん』河出文庫.

◎伊居太神社
神道
〒563-0051 大阪府池田市綾羽2丁目4−5
072-751-4652
(阪急「池田」から北へ徒歩15分)
管理人の訪問日:2014年5月27日
ラベル:神道 大阪 日本
posted by HIRO at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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