2015年04月17日

鉄輪の井戸

京都のオカルトスポットを紹介する本は数多くあるが、それらはたいてい「鉄輪の井戸」に言及している(石黒 2000:40-41; 入江2010:58-60; 加門、豊嶋2000:185; か舎+菊池199947-48; 小松2002:94)。

この井戸は、ある鬼女の伝説にまつわるものだ。自分を捨てた夫とその後妻を呪い殺さんと貴船神社に詣でていた女。貴船明神のお告げにしたがって鉄輪(五徳)をかぶり、その足に火をともし、鬼の形相になった。彼女は『平家物語』では元夫やその後妻、縁者らを死に至らしめたとされるが、謡曲『鉄輪』では阿倍晴明に調伏され、本懐を遂げることが出来なかったことになっている。彼女が息絶えた場所が、この「京都府京都市下京区堺町通松原下る鍛冶屋町」の「鉄輪の井戸」近辺だという。

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実際に鍛冶屋町に行ってみると、狭い路地の前に「鉄輪跡」という碑が建っている。堺町通に面した側には開き戸がついていて、上には個人宅の表札もかかっている。奥に件の井戸があるようだったが、明らかにふつうの民家のスペースだ。ただでさえ、閉鎖的なイメージのある京都のご町内。入っていいものか迷う。

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こわごわ入ってみると、民家の前に赤い鳥居にお稲荷さんの社。その右手に「鉄輪」と書かれた祠と井戸が見える。井戸には金網と木組みが被せてあり、その上に「お一人様一枚」と由緒書の紙が置いてある。こういうものを用意して自由に取らせる位だから、一応来る者拒まずという姿勢なのだろうか。

その紙を見る限りでは、これらの祠を祭っているのは鍛冶屋町の「敬神会」らしい。

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この敬神会が記すところによると、鉄輪の女が死んだのち、鉄輪とともに霊を弔い「鉄輪塚」が築かれた。江戸時代、縁を切りたい相手にこの井戸水を飲ませると別れられると評判になり、遠くからも水を汲みに来る人があったという(鍛冶屋町敬神会 2004)。しかし縁切りだけでは縁起が悪すぎると、寛文8年(1668年)稲荷を祭り、縁結びにも霊験があるとされるようになった。それが、元治元年(1864年)焼失する(加門、豊嶋 2000:185)。その稲荷社を氏神の「命婦稲荷」として昭和10年(1935年)再建する際に、「鉄輪塚」の石碑が発掘され、それを鉄輪大明神のご神体として「鉄輪社」の小祠をつくった(鍛冶屋町敬神会 2004)。

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今は井戸に水はないが、「それでもペットボトルに、水を入れてきて、「鉄輪井」に供えて祈り、もちかえる人もあるよう」だと、敬神会はさらっと書く(ibid)。実際、井戸脇にペットボトルが並んでいた。敬神会はこれに対して説明を加えていないが、今でも鉄輪の女か井戸の力で(?)ペットボトルの水を縁切りの水に変えてもらいたいと願う人がいる、ということなのだろう。

実際のところ、怖い神様を祭っているとか、「縁切り」を売り物にしているとかいう僧侶神主はそれなりに存在しているし、それが宗教法人の収入源となっていることも別段不思議な話ではない。しかし、縁切りの社を有志が手弁当で管理した上、外から自由に人が来られるように一般開放しているというのは、いささかシュールな状況ではなかろうか。

地域で協力してホラースポット兼パワースポットを守っていく。伝説がドロドロしている割には、地元の皆さんの態度が妙に明るく、あっけらかんとしているのがいい。

参考文献
石黒吉次郎 2000「鉄輪神社 怨霊が籠もる縁切りの地」志村有弘編著『京都魔界紀行』勉誠出版.
入江敦彦 2010『怖いこわい京都』新潮文庫.
鍛冶屋町敬神会 2004「鉄輪の伝説(鉄輪井・鉄輪塚・鉄輪社)」(鉄輪の井戸で配布している由緒書)
加門七海、豊嶋泰國 2000『京都異界紀行 千年の魔都の水脈』原書房.
か舎+菊池昌治 1999『京都の魔界をゆく 絵解き案内』小学館.
小松和彦 2002『京都魔界案内 出かけよう「発見の旅」へ』光文社知恵の森文庫.

*鉄輪の井戸
神道
〒600-8079京都府京都市下京区堺町通松原下ル鍛冶屋町
(地下鉄「五条」下車。1番出口から出、堺町通りを北上。)
管理人の訪問日:2015年4月9日
posted by HIRO at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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