2015年12月21日

八兵衛明神

四条河原町近くの飲み屋街「柳小路」に狸を祀った祠がある。「八兵衛」と名前が付けられ、信楽焼の狸の置物が八個置いてある。八つまで願い事をかなえてくれるとされ、なかなかハッピーな感じ。

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千社札がいっぱい貼ってあったから、お参りする人は多いのに違いない。

明治の都市開発で新京極が出来るまでは、この辺りもお寺の境内で、六兵衛、七兵衛、八兵衛の三匹の狸が住んでいたという。界隈が繁華街になってから、これらの狸を守り神とする鎮守社が建てられたとの由(えぇ京都.net 2006)。

その後、色々あって鎮守社は荒れ果ててしまったらしい。うち一つを肉料理屋が修復し、管理しているのが今の「八兵衛」の社である(森見 2014)。

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とはいえ、現在よく知られた福々しい信楽焼の狸のデザインが出来たのは比較的最近である。陶芸家の藤原銕造(1876−1966)という人が考案した。昭和天皇の信楽行幸の際に沿道にこの狸の置物を置いたことで有名になったという(京極 2011:404−405)。

してみると、信楽焼の狸を置いたのはその料理屋のアイデアか。明治の頃の八兵衛のイメージは、現在と違ったものだったのかもしれない。

内田百閨i1889−1971)が郷里の岡山にいた時代の「狸」のことを書いている。高等学校の頃、というから、1908年から1910年の間の話だ。祖母の命令で「風邪の神を移した」とされる沢庵を川に流しに行った百閨B帰宅後、彼の就寝中に祖母が孫の名を呼ぶ怪しい声を聞き、「小豆洗いの狸」を連れて帰って来たと騒ぎ出す(内田 2002:27-30)。

この「狸」は、信楽焼のユーモラスなイメージとは異なる。ガチでオカルト。オカルトをガチで信じている人は数的には少ないだろうから、「ガチでオカルト」というのも形容矛盾かもしれないが、今の「心霊現象」ぐらいの扱いだったと見える。

「小豆洗い」という妖怪も、私にとっては水木しげるの漫画の絵の印象が強かったので、「狸」とされるのが意外であった。水木の絵では目の大きい、出っ歯の、人のよさそうな親爺の姿。こちらも、竹原春泉なる人物が『絵本百物語』(1841)という本の中で描いているデザインから来ているそうで(京極 2011:421)、ちゃんと出所があるのである。

京極夏彦は、現在私たちがイメージする「キャラ」としての妖怪は、かつての民俗社会で伝承されてきた妖怪とは異なるということを指摘している(Ibid:467)。

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今の柳小路に祀られている「八兵衛明神」も、その類の「キャラ」の一つなのだ。

やっぱり現代においては、「キャラ」の力は偉大なものであるなあ、と思う。

参考文献
えぇ京都.net 2006「八体のお狸さんが守る 柳小路」『えぇ京都.net』
http://a-kyoto.net/area_yanagi.html
京極夏彦 2011『妖怪の理 妖怪の檻』角川文庫
森見登美彦 2014「森見登美彦が歩く“聖なる怠け者”の京都案内(3)八兵衛大明神」
http://dot.asahi.com/photos/photogallery/archives/7649/morimikyoto005/
内田百2002『百鬼園随筆』新潮文庫.(初版1933 三笠書房)

*八兵衛明神
神道
〒604-0000京都府京都市中京区新京極四条上る中之町577
(阪急「河原町」下車。柳町小路。OPA裏辺り。)
管理人の訪問日:2015年10月9日
posted by HIRO at 06:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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