2015年12月23日

平野神社

旧官幣大社。二十二社の一つ。大鳥居の上に掲げられた「平野皇大神」の額。平野神社は、大変に格式の高いお宮である。

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祭神はイマキノカミ(今木神)、クドノカミ(久度神)、フルアキノカミ(古開神)、ヒメガミ(比盗_)の四柱。

古代史の権威である上田正昭は、このイマキノカミが渡来系の神であったとし、平野神社と朝鮮半島とのつながりを強調する。イマキノカミは、もとは桓武天皇とその母高野新笠(百済系渡来人)が祀っていた神である、高野新笠は百済の武寧王の子孫であり、ゆえに桓武天皇も百済の武寧王とつながる、とのこと。ゆえに「平野神社の現像にも朝鮮半島との史脈が浮かびあがって」くるのだと述べる(上田 1998:74-76)。

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この神を祀っていた桓武の母が渡来系氏族の出身だったことから、平野神社と朝鮮半島との関連に言及する記述は、複数の事典等にも見られる(義江 2000など)。この分野で一般的な見方なのだろう。

しかるに、平野神社の公式ウェブサイトにおいてはほとんど朝鮮とのつながりにふれていない。ただ、江戸期に「イマキノカミは百済王」という説が唱えられ、現在でもこれを敷衍した説が時折見られるが、学問上否定されている、という記載があるのみだ(平野神社 n.d.)。

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百済王のことは史料解釈の問題だとしても、高野新笠の名前をウェブサイトで出していないのはどういうことか。

これは、陰謀論ふうに考える方が楽しい。神社が渡来人とのつながりを出すのに消極的なのは、天皇家と朝鮮とのつながりを知られたくない「勢力」が、これを隠蔽するために動いているからだ、と。

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その実、桓武の母親が朝鮮系とされていたこと自体は周知の事実である。今の天皇はワールドカップ日韓共同開催の時に、自分から「韓国とのゆかりを感じる」と言ったぐらいなので、別段隠して隠れるようなことでもない。

もちろん、秦氏が秦の始皇帝の子孫であるという話が怪しいのと同様、高野新笠が百済王の後裔であるというのも仮冒かもしれない。しかし天皇家の祖が太陽神だという物言いよりはだいぶましである。

そういうことも含めて、およそ人のルーツに関しては、真実がどうというより「どう表現するか」「どこを強調するか」という点が問題なのだろう。イギリスは、国王の先祖がドイツから来てるのが明々白々なのに、ドイツと戦争している時わざわざドイツ風の王朝の名前をイギリス風に変えた。逃亡奴隷と混血してアフリカ系と似た外見を持つセミノール民族は、自らがネイティブ・アメリカンであることに強い誇りを持っている。

天皇が外交のためにわざわざ千数百年前の血縁関係を持ち出してみせるのも、神社がそれを出すのに消極的なのも、どちらも現在の思惑で過去を操作するという点において同じだ。

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確かに、神社の祭神程度のことに限れば、好きに解釈していればいいだけの話。でもまあ、色んな引き出しを用意しておいて、「あなたとはこういうご縁があります」という具合に適宜言える方が、何かと便利じゃないだろうか。

参考文献
上田正昭 1998「平野神社」世界人権問題研究センター編、上田正昭監修『京都人権歴史紀行』人文書院
平野神社 n.d.「ご由緒」『平野神社』(平野神社公式ウェブサイト)
http://www.hiranojinja.com/home/gaiyo/yuisyo
義江明子 2007「平野神社」『日本歴史大事典』小学館(CASIO「EX−word DATAPLUS8 XD=6900」所収)

*平野神社
神道
〒603-8322 京都府京都市北区平野宮本町1
075-461-4450
(市バス205/50系統「衣笠校前」下車北へ徒歩3分。あるいは京福電鉄北野線「北野白梅町」駅下車北へ徒歩10分。)
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posted by HIRO at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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