2018年05月02日

鬼祠

北海道登別では、温泉街の至るところに鬼の作り物が置いてある。

登別温泉3.png


地獄谷近くに「鬼祠」という社があり、左右のコンクリート製の青鬼、赤鬼は新しそうだったものの、中に祀ってある鬼の像はかなり古そうだった。

登別温泉2.png


日本では鬼神を寺社に祀る場合もあるから、当地でもこの祠に対する信仰が核になって、鬼の文化が出来たのかなと思った。

が、説明書を見ると「江戸時代から伝わる念仏鬼」とある。「鬼の念仏」というのは、「無慈悲、冷酷な人が、表面だけ神妙にふるまうこと(精選版日本国語大辞典)」である。大津絵の画題にもなっているが、この種の図像は僧侶の偽善性を風刺するためのものだ。だから、「念仏鬼」と称される像が、信仰の対象として祠に安置されるのは些か奇妙と言わざるを得ない。

実際、登別が鬼と結びつけられたのは、1964年以降らしい。まず、登別温泉の「地獄谷」から発想して観光客呼び込みのための「地獄まつり」が開催され、鬼の仮装が人気を博したところから始まったようだ(鬼なびステーション登別 2012)。

その後、1972年に「湯鬼神かぐら」という郷土芸能が誕生した (Ibid)。

登別観光関係のポスターやホームページでは、「湯鬼神(ゆきじん)」というナマハゲのようなキャラクターを散見するが、それはこの時に出来たのだろう。

登別観光案内の公式ブログによれば、「湯鬼神」は温泉の守り神で、アイヌ人女性の孫である。アイヌモシリに生まれた美しい娘が腫瘍で醜い姿になった。それは彼女を愛する神が敢えて病気にみせかけたのだった。彼女は神と結婚して六人の女の子を生んだが、その長女が登別温泉の山の神となり、閻魔に嫁いで九人の子を生んだ。その九人が湯鬼神として様々なご利益を持ち、厄払いをする、という。登別観光案内の公式ブログは、これを「古くからの伝説」とする(登別観光案内所/登別国際観光コンベンション協会 2012)。

1970年代後半以降は、鬼のモニュメントが量産されていく。「鬼祠」が建立されたのは、1978年で、「登別温泉開基120年記念事業」の一環であったとの由(鬼なびステーション登別 2012)。こうなると私のように、「鬼祠があるくらいだから古い文化なのかな」と信じてしまう人も出てくるのも無理はない。(?)

登別温泉4.png


騙されたくせに言うのも何なのだが、私はこの登別の一連のやり方を「うまい、面白い」と感じてしまう。何らかの意図のもとに、複数の伝統が接合される「シンクレティズム」は古今東西でなされてきた。この場合は、観光客呼び込みという目的の下、神と結婚する少女というアイヌ神謡のモチーフと「閻魔」「地獄」というインド由来の概念を含む大和の信仰が結びつけられているわけだ。

この登別の一連のやり方を、私はただ「うまい、面白い」と感じてしまうのだが、アイヌの人々はどう思うのだろうか。こうやってアイヌの地に大和の文化が伝わっていき、さも由緒のあるものであるかのように粉飾されていくことに複雑な思いを持つ人もいるかもしれない。

「鬼」という字は色んな意味があって、想像上の怪物や死者の霊魂の他、異民族、とりわけ異民族の侵略者を指す場合がある。

登別では、例によって中国人観光客をたくさん見たが、彼らは鬼のモニュメントをどう思っているのだろうか。まあ日本らしさを強く感じているのは確かである。

登別温泉1.png


参考文献
鬼なびステーション登別 2012「登別温泉はなんで鬼なの?」『鬼なびステーション登別』
2012/9/28(金) 午前 10:00
https://blogs.yahoo.co.jp/oninavi_noboribetsu/9939078.html
登別観光案内所/登別国際観光コンベンション協会 2012「これが温泉を守る湯鬼神だ!」『登別観光案内所/登別国際観光コンベンション協会・公式』2012/11/5(月) 午後 0:06
https://blogs.yahoo.co.jp/information_plaza2010/14266699.html

*鬼祠
〒059-0551 北海道登別市登別温泉町
0143-84-3311
(登別東ICから6q、JR「登別」から8q。登別温泉道沿い。地獄谷の入り口近く。第一滝本館向かい側。)
管理人の訪問日:2018年4月8日
posted by HIRO at 19:31| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: