2018年08月15日

青島神社址

宮崎在住の友人に、同県の青島神社(あおしまじんじゃ)という所に連れて行ってもらったことがある。白砂青松を絵に描いたような絶景で、いたく感動した。

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その後中国の青島(チンタオ)に行って、海辺の明るい美しい風景が青島神社(あおしまじんじゃ)の印象と同じだと喜んでいたのだが、かつて本当に青島神社(あおしまじんじゃ)ならぬ青島神社(チンタオじんじゃ)なるものが青島(チンタオ)の地に建てられたと知るに及び、何か気分が萎えてしまった。

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日本は第一次大戦中に青島を占領して、1915年にこの「青島神社」を建造した。1922年に、青島が中国に返還されてからも日本はこれを保ち続け、第二次世界大戦中の再占領を経て日本の敗戦まで存続する。

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日本より前に青島を支配したドイツもカトリックとプロテスタントの教会を造った。ただ、教会は今でも中国人信徒に使われているのに対し、神社の方はあまりにも日本という国家と結びついていた。アマテラスや稲荷、金毘羅といった日本の神格の他、明治天皇や青島侵攻時の日本の戦死者が祀られたようだ(黄 2013)。ナショナルな追悼施設の意味も持ち合わせていたわけである。当時の日本の発想としては、どこかを占領したらそこに靖国神社のミニチュア版を建てなければならなかったのだろう。

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だから、日本の敗戦後に国民政府に接収されて「忠烈祠」とされ、今度は日中戦争で殉国した中国の戦没者を弔う施設に変えられたのは、ある意味自然な流れだったのだろうか。とはいえ、これも青島の人々の反発を買ったらしく、すぐに破壊されたという(Ibid)。

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今は石段ぐらいしか残っていない。その地は「児童公園」とされているが、むしろ老人が暇をつぶす憩いの場になっている。だだっ広い公園である。

この石段がまた長い。社殿はけっこう高いところにあったはずだ。この点は、ドイツ人の教会も同様。帝国主義者というのは高いところに宗教施設を造るのが好きだったと見える。

参考文献
黄默 2013「日本人在貯水山建了神社 抗戦勝利後青島人搗毁」『城市信報』2013-10-31 17:02
http://news.bandao.cn/news_html/201310/20131031/news_20131031_2291746.shtml

*青島神社址
神道
中国山東省青島市市北区遼寧路280号青島貯水山児童公園
(2路,5路,21路等「科技街」。4路,205路,212路,308路等「少年宮」。遼寧路を挟んで中新大厦の向かいに西門がある。)
管理人の訪問日:2016年8月13日
posted by HIRO at 09:58| Comment(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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