2019年02月24日

石座神社

岩倉の実相院に行ったら、横に「石座神社(いわくらじんじゃ)」という神社があった。

石座神社1.jpg


まあ当たり前だと思った。岩倉というからには磐座(いわくら)を中心にした古い信仰があって、それが地名になったのだろう、その名前の由来になった磐座が「石座神社」に祀られているのだろう、と簡単に考えた。

磐座というのは神の依り代あるいは神体と見なされた大きな岩石である。神社建築が出来る以前の神社の先駆的な形態は磐座・神体山・泉のような祭祀場所と考えられているから、磐座は非常に古い時代の神道の遺跡なのであろう。

石座神社4.jpg


で、その石座神社に入ってみたら、仏寺の鎮守だったと由緒書に書いてある。説明をざっと目で追えば、971年に大雲寺という寺が建立されると石座以下の八所明神が鎮守となり、さらに伊勢など十二所明神が祀られ、と云々。

石座神社3.jpg


八所、十二所を確認しようと思って、端から一つ一つ「鹿島神社」「稲荷神社」と見て行ったら、中央に並ぶ二つの社に「西社・十二社明神」「東社・八所明神」と書かれている。一つの社に十二、もう一つに八、さらに脇に色んな社が並び、二十ではすまない。寺の護法神として様々な神々が色んな神社から勧請されたのだろう。えらい寄り合い所帯である。

石座神社2.jpg


「勧請」というのは便利なシステムで、神仏の分霊を他の場所に移して祀ることができるのだ。色んな神様を集めてセットにすることもできるわけだ。

結局磐座は見つからず。古代の巨石信仰の名残にしては、妙な人工的作為を感じさせる神社である。

で、その寄り合い所帯の神々が守ったはずの大雲寺はと見れば、明治の神仏分離で分離され、例によって廃仏毀釈や上知令でさんざんな目にあったのだろうか、えらく小ぢんまりしており、境内地にあったと見られる様々な石仏が付近の老人福祉施設の敷地に散在している。

大雲寺1.jpg


何だかよく分からんがまあいいか、と帰路につくと、叡山電車の駅に向かう道すがら、川沿いに別の神社を見つけた。「山住神社」とあり、通常の神社にあるはずの社殿がなく、鳥居の奥の小高い場所に大きな岩が載っている。まごうかたなき磐座だ。

山住神社2.jpg


そちらにあった説明書を見れば、この石座(いわくら)明神は971年に大雲寺の鎮守の神として遷座し、もとの古社は山住の神と号し、御旅所となったとのこと。

山住神社1.jpg


つまり、こういうことである。

この地には古来より磐座を祭祀対象とする巨石信仰があったが、平安時代に寺が建てられると、その巨石に宿るとされる神霊が守護神として寺に遷され、社殿が建てられた。その社に日本のメジャーな色々な神々の霊が集められ、共に寺を守ると信じられた。明治時代に至って社が寺と分けられ、寺は勢力を弱め、磐座の地と元の鎮守社はそれぞれ神社となった。

神社建築以前のアニミズム、神仏習合、神仏分離、、、日本の宗教史そのものである。

*石座神社
神道
〒606-0017 京都府京都市左京区岩倉上蔵町
(地下鉄烏丸線「国際会館」から京都バス24系統・岩倉実相院ゆき「岩倉実相院」下車。向かって右手。)
*山住神社(石座神社御旅所)
神道
〒606-0014 京都府京都市左京区岩倉西河原町
(京都バス:岩倉農協前。あるいは叡山電鉄鞍馬線「岩倉」下車、川沿いに北へ徒歩5分)
管理人の訪問日:2019年1月12日
posted by HIRO at 19:43| Comment(0) | 神道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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