2020年02月09日

寛永寺

江戸幕府を作った徳川氏が清和源氏を称しても、つまる所は三河の田舎大名だから、色んな装置で急ごしらえに権威を持たせなければならなかった。

寛永寺1.jpg


その際に朝廷を利用したことはよく知られている。徳川家康の死後に東照大権現という神号をもらったのもしかり、肝いりで造った寺に皇族の住職を入れたのもしかりである。天皇の方もお金がなかったし、子供も坊さんにして口減らししなければならなかったのだから、ちょうどよかったのだ。

そのためのアイデアを出して寺を造らせたのは天海という天台僧であることもよく知られている。

上野一帯は、昔は天台宗寛永寺のものだった。徳川幕府の保護が篤く、京都から法親王を迎えて栄華を誇っていたのが、戊辰戦争の時に彰義隊の本拠になって伽藍の多くを焼失。その後明治政府に寺領を没収された。

寛永寺2.jpg


今は上野公園及びその周辺のあちらこちらに寛永寺の堂宇が残る。根本中堂以下、不忍池の弁天堂とか清水観音堂とか、飛び地に何か所もあるのが特徴的だ。

寛永寺3.jpg


特に印象的なのが大仏である。第二次大戦中の金属供出で、顔面だけになっている。頭だけになったのが「頭がよくなる」というのとつながるのだろうか(どうつながるのかは分からないのだが)「上野合格大仏」と称し、結構絵馬などが売れている。

寛永寺4.jpg


権勢を失い、切り刻まれて、きりちゃんちゃんこになってもしたたかに生き残っていく。

*寛永寺
仏教 天台宗
〒110-0002 東京都台東区上野桜木1丁目14−11
03-3821-4440
(JR上野駅下車。上野公園内。)
管理人の訪問日:2018年2月1日
posted by HIRO at 19:59| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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