2015年08月16日

天后宮(三山会館)

政府が特定の死者に対して「神」としてのお墨付きを与えること、、、

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上海の「三山会館」は、清末に福建人の建てた会館だが、「三山会館」の額の上に「天后宮」と彫られていることからも分かるように、海の女神・媽祖を祭る廟としての性格も備えている。会館というのは、同郷人や同業者の相互扶助や親睦のために造られた建物だが、祭祀の場としても使われていた。また、ここは中国共産党の「第三次武装蜂起」の司令部が置かれていた、と紹介されている。

中にはゴージャスな媽祖の塑像みたいのがあるし、媽祖の絵がたくさん飾ってあるし、「媽祖廟」としてすごく一生懸命整備されていた。ただ、いかにも最近間に合わせのために作られた感じだ。

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面白いのは、当局が(おそらくここも地方政府の管轄なのだが)、この建物を歴史建造物として公開するに当たり、「革命の聖地」としての性格よりも、「同業者組合」としての性格よりも、「媽祖廟」としての性格を前面に出している、ということだ。

「革命」が現代中国で古ぼけてしまったのは言わずもがなだが、金融の中心である上海では、もっと経済史的資料を大切にしてもよさそうだ。媽祖信仰が盛んだったわけでもない上海でこれだけ媽祖廟を強調するのは、一つには台湾とのつながりをアピールしたいからなのだろう。台湾は媽祖を信仰している人が多くて、大陸の媽祖廟にも数多くの巡礼者がやって来る。

それと関連して、中華の伝統なるものを焦点化したいという考えもあるのに相違ない。ここでも、大陸の他の媽祖廟同様、「歴代褒封」の表が展示してあった。

これは、媽祖が歴代王朝からもらった称号の表である。福建省の漁村の巫女だった林黙(媽祖)は、よく漁民の難を救ったということで、死後神として祭られた。霊験あらたかとされ、各時代の王朝がこの巫女出身の女神にお墨付きを与えるようになる。宋代の宣和5年(1123年)、宋の徽宗が「順済廟」という額を贈ったのに始まり、紹興26年(1156年)には高宗がこの女神を「霊恵夫人」に封ずる。その後も何度か神号を追贈されるのだが、淳熙12年(1184年)に「霊慈昭応崇福善利夫人」というえらく長い名前になる。宋末に「夫人」より格上の「妃」になり、元代に「天妃」となる。この間名前は長くなったり短くなったりするのだが、清代に「天后」となってからは長くなる一方。咸豊7年(1857年)には「護国庇民妙霊昭応宏仁普済福佑群生誠感咸孚顕神賛順垂慈篤祜安瀾利運沢覃海宇恬波宣恵道流衍慶靖洋錫祉恩周徳溥衛漕保泰振武綏疆天后之神」。36回の称号授与で、64文字になった。

歴代王朝は福建の媽祖廟を修復しており、清代の17世紀には朝廷が媽祖の祭典を挙行するようになる。名前を見ただけでも、政府がいかに大仰に媽祖を大切にしてきたのか分かる。現在、中国各地の媽祖廟にほぼ必ず「歴代褒封」の表が見られることは、今の中国政府もこれら王朝の後継者として媽祖信仰を重視していることのアピールと考えてよかろう。

この現代において、しかも唯物論者を自称する人たちが、「政府が特定の死者を神様として承認すること」にここまでこだわるのは奇妙な感じもする。奇妙な感じもするが、さしあたって、中国政府の中国政府なりの論理みたいなものを知っておく必要があるんだろうと思う。

*天后宮(三山会館)
道教
中国上海市中山南路1551号 200011
021−63146453
(地下鉄4号線「南浦大橋」下車、徒歩5分。中山南路沿いに西に徒歩5分。)
管理人の訪問日:2013年5月4日
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2014年09月09日

大本頭公廟

中国の廟を見物していると、「福徳正神」というのをよく見るが、これは「ウジガミサマ」のようなものだと思う。「土地公公」といって、その土地を守る神様だ。

かなり祭られている数が多く、そこいらに無造作に置かれているような気さえする。私がシンガポールのゲイランという所に住んでいた時、出勤時に歩道上に置いてある「福徳正神」をよく蹴っ飛ばしそうになった。ごくごく小さな可動式の神棚様のものに、この神が祭られているのである。

蹴っ飛ばしそうになる度に、東南アジアの「土地公公」も中国風の格好をしているんだろうかと思った。中国風の格好をしているとしたら、それはこの土地の神様と言えるのか。本当に蹴っ飛ばすとどうなるんだろうか、、、そんなことを思ったものだ。

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タイに行った時、よく「本頭公廟」という華人系の廟を見た。この「本頭公」という名前も固有名詞っぽくない。結局潮州人の「土地公公」らしい。

バンコクにある「大本頭公廟」はなかなかに立派なお社だった。にぎやかな中国的な色づかいはタイ世界で異彩を放っている。

中に祭られている神像を見る限りでは、確かにこの神様はヒゲを生やしており、いかにも中国人、という格好をしていた。

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それでいて、タイ国籍の土地の神なのだ。廟の入口にタイ国旗が掲揚してあったから。

この神様は確かに中国風の格好をしていて、なおかつ、このタイという土地の土地神様なのだ。

国外にあってもそこに土地神として自分たちの「ウジガミサマ」がいると想像できるのは、すごいことだと思う。

*大本頭公廟
Lao Pun Tao Kong Shrine
道教
833 Songwat Rd, Samphantawong, Bangkok, Thailand
02-221-6598, 02-622-4665
(ラチャウォン船着場(Rachawongse Pier)からソンワード通り(Songwat Road)に沿って右手にあり、徒歩約10分)
管理人の訪問日:2012年3月25日
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2014年08月17日

関帝廟(山陝甘会館)

開封にある「山陝甘会館」は、乾隆年間に出来た同郷団体の建物で、今は博物館のようになっている。

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大殿に大きな関羽像があった。昔の会館に関帝や媽祖が祭ってあるのは珍しいことではない。会館は祭祀のための組織でもあったから。

脇にも別にお堂があった。入っていくと、そこの職員らしき人が「来た来た」という感じで私の方を見る。いかにも手ぐすね引いていたという体。

そのうちの道士のなりをした男性がしきりに私に話しかけ、関帝の霊験を説き、礼拝のやり方を教える。さらにカネをたたき出し、像に向かって私におじぎをさせる。その後、祭壇から米を取り出して私の手のひらに受けさせ、さらにそれをのし袋に入れる。

その後又何やらぐちゃくちゃ言っていたが、私の方はのし袋を返して足早に出て行った。後ろから、「少しは功徳を積んでいけ!」という声。

10元か20元かなら「功徳」を積んでいってもいいかと思ったが、そうすると必ず何百元出せと要求されて押し問答になる。観光地によくあるパターンで、中国のメディアでもよく問題としてとりあげられている。

とはいえ、もともと信仰の場というのは「見世物」ではない。私のように「お寺巡り」と称して寺院といわずモスクといわずシナゴーグといわずのぞきたがる輩には、こういう「金づる」扱いが相応なのかな、とも思う。

まあ「金づる」のわりには10元も惜しんでますけどね。

*関帝廟(山陝甘会館)
中国河南省開封市徐府街85号
(0378)5957411
(バス観光1号線「山陝甘会館」下車)
管理人の訪問日:2014年3月30日
ラベル:中国 河南 道教
posted by HIRO at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 道教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする