2014年06月25日

南京夫子廟

旅行会社に商業目的で運営されてる孔子廟って、、、

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南京で孔子を祭る廟に行った。入場券を見ると、「南京夫子廟旅游商務管理有限公司」と書いてある。「旅游」は「旅行」、「商務」は「ビジネス」、「有限公司」は「株式会社」。

中国各地の孔子廟は色んな目にあっている。行政の管理下におかれ「博物館」になっているところも多い中、おそらく最も観光地然としているのが南京の夫子廟だ。

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旅行客で大変ににぎわっている。廟の中がとりたててふつうの孔子廟と異なるということはないのだが、古代音楽を聞かせる部屋を設けるなど、少しエンターテイメント風。

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お祈りのための赤い「許願帯」が至る所にくくりつけてある。安全とか健康とか、色んなお願いがなさされているが、やはり多いのが学業成就や合格祈願だ。

周囲は完全にお祭り気分。屋台は出てるわ、遊覧船に乗れるわ、完全に観光地である。

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これは、蘇州の玄妙観や西安の大雁塔などの観光開発のパターンと似ている。お参りの場所を核として旅行客が楽しむための施設を色々と造っていくというやり方。

聖なるものを中心に祝祭空間が増殖していくのは、日本にもよくある話だ。伊勢の外宮と内宮の間にある古市という場所では、昔は歓楽街で参詣者が派手に遊んだらしい。今でも京都の八坂神社界隈のことを考えると、中国の観光開発はまだお上品と言えるだろう。

とはいえ、遊興の場の核としてお参りの場がなければならないとすれば、孔子様とてご利益を受けつけざるを得ない。そういうこともあって、近年ますます受験の神様と化している。

よりによって南京で孔子様に日本を見るとは思わなかった。

*南京夫子廟
儒教
中国江蘇省南京市貢院街152
025-52855667
(地下鉄1号線「三山街」下車、徒歩15分)
管理人の訪問日:2013年8月24日
ラベル:儒教 江蘇 中国
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2014年06月08日

太原文廟

儒教
中国山西省太原市文廟巷40号
0351-2029491
鉄道「太原」駅から北西に徒歩15分ほど
管理人の訪問日:2014年3月26日

中国各地の孔子廟は色んな目にあっている。ケバケバしい飲み屋街に占領され、「孔子の面子丸つぶれ」という所もあった。
http://gompa.seesaa.net/article/376529300.html

今は儒者というのもいないし、大陸では、香港のように宗教として認められている儒教教団もない。孔子廟を儒家のための儒家の施設として存続させることは不可能だ。

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ただし、共産中国での孔子の評価は意外と悪くない。明確に当局に批判されたのは、1970年代、文革中の「批孔批林」の時代ぐらいではないか。今は世界各地に「孔子学院」が設立され、中国政府が中国語を広めるのに役立っている。

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「山西省民俗博物館」となった太原文廟も、孔子という人物を顕彰しているという点においては、相当に孔子の面子を保つ格好になっている。「中華伝統文化を弘揚すること」を主題としているとの由で、孔子をくわしく紹介する展示をやっていた。

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一方で、若くして殉職した解放軍の英雄「雷鋒(らいほう)」に学べ云々という赤い幕を、廟の中にデカデカと貼っていた。やっぱり共産党が偉いと言いたいのだろう。

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孔子という人の面子は保ちながら、誰が主人なのかということには釘をさす。これも儒教的パターナリズムに相違ない。
ラベル:儒教 山西 中国
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2014年04月28日

顔廟

儒教
中国山東省曲阜市鼓楼北街4号
バス5路「顔廟」
管理人の訪問日:2011年8月10日

生前の父は、私をよく孔子の弟子の「顔回」に例えていた。

子曰。賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不堪其憂。回 也不改其楽。賢哉回也。(『論語』雍也第六)

ボロい所に住み、粗食に耐えて結構楽しそうなので、孔子に「すごいなあ!」と言われている。なるほど、何かしょぼいところが私に似ている。

残念ながらしょぼくて貧相なところ以外は何も似ていない。「一を聞いて十を知る」と言われたような顔回の才能が私に有る訳ではない。しかし父が何度も顔回顔回言うので、顔回には何となく親近感があった。

子謂子貢曰。汝與回也孰愈。對曰。賜也何敢望回。回也聞一以知十。賜也聞一以知二。子曰。弗如也。吾與汝弗如也。(『論語』公冶長第五)

その顔回を祀った顔廟というところに行ってみた。

これがまた曲阜という一大観光地にあって、かわいそうな位客が入っていない。というか、私が行った時は私一人しかいなかった。

入場券を売る場所にも人がおらず、売り子のおばちゃんは入口の敷居の上でおっちゃんと何か食って談笑しながら券を売っている。妙に自由な感じである。

本堂のような所には帝王の姿をした顔回像が鎮座していたが、それが又中国の廟にありがちなキッチュでチープな極彩色の石膏像で、がらんとした大きな堂宇で妙な物悲しさを醸し出していた。私が心の中で「昭和的」と呼んでいる物悲しさだ。

中国ではキンキラキンの仏像や、お金をもたらすと評判の神様はとても人気があって、中国人はそのような神仏をこそ熱心に拝する。一方、顔回のような「清く貧しく、、、」みたいな人はどうもスルーされがちだ。

しょぼいところだけ顔回に似ている私は苦笑い。ますます顔回に親近感がわく。
ラベル:儒教 山東 中国
posted by HIRO at 18:18| Comment(0) | 儒教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする