2018年11月24日

達磨大明神(上七軒)

京都五花街の一つ、上七軒の歌舞練場の近くで、「達磨大明神」なる祠を見て、どういうことかと思った。

達磨大明神.jpg


いや、達磨を宗教的に祀ること自体は一向不思議ではないのである。達磨大師はインドから中国に渡来した僧侶で、禅宗の祖である。祖師や高僧の像を造って拝むのは、大乗仏教圏各地で見られる。実際、達磨像を安置した禅寺は多い。

しかるに、これは「大師」という僧侶につける敬称ではなく、「大明神」という神につける尊称である。確かに、日本は神仏習合が盛んであるから、そういうこともあるかもしれない。しかし、「八幡大菩薩」のように神道の神格に仏教風の称号が付く場合はあっても、逆は聞いたことがない。

そもそもこれはあの禅宗の祖師達磨大師のことではないのか。達磨は日本では通常高僧ではなく、おきあがりこぼしの玩具あるいは縁起物、飾り物としてとらえられる。

『広辞苑』を引いたら、「達磨(だるま)」の意味の一つに、「下等な売春婦の異称」とある。何故?『日本国語大辞典』では「売春婦。すぐころぶところからいう。」と書いてある。売春婦はすぐ転ぶのか?「転ぶ」を『日本国語大辞典』で引いたら、「芸者、遊女、しろうと女などがひそかに売色する」とある。職業ならそうなるであろう。

上七軒の「達磨大明神」がこの意味の「達磨」だとすれば、すごい反骨精神だ。

今はもうちょっとイノセントな感じの観光地になっているが、その心は生きているのかもしれない、、、と、安全なところからきれいごとを言える有難さを噛みしめる。

*達磨大明神(上七軒)
〒602-8381 京都府京都市上京区今出川七本松西入真盛
(市バス50、203「上七軒」下車。上七軒歌舞練場近く。)
管理人の訪問日:2017年11月12日
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2018年05月02日

鬼祠

北海道登別では、温泉街の至るところに鬼の作り物が置いてある。

登別温泉3.png


地獄谷近くに「鬼祠」という社があり、左右のコンクリート製の青鬼、赤鬼は新しそうだったものの、中に祀ってある鬼の像はかなり古そうだった。

登別温泉2.png


日本では鬼神を寺社に祀る場合もあるから、当地でもこの祠に対する信仰が核になって、鬼の文化が出来たのかなと思った。

が、説明書を見ると「江戸時代から伝わる念仏鬼」とある。「鬼の念仏」というのは、「無慈悲、冷酷な人が、表面だけ神妙にふるまうこと(精選版日本国語大辞典)」である。大津絵の画題にもなっているが、この種の図像は僧侶の偽善性を風刺するためのものだ。だから、「念仏鬼」と称される像が、信仰の対象として祠に安置されるのは些か奇妙と言わざるを得ない。

実際、登別が鬼と結びつけられたのは、1964年以降らしい。まず、登別温泉の「地獄谷」から発想して観光客呼び込みのための「地獄まつり」が開催され、鬼の仮装が人気を博したところから始まったようだ(鬼なびステーション登別 2012)。

その後、1972年に「湯鬼神かぐら」という郷土芸能が誕生した (Ibid)。

登別観光関係のポスターやホームページでは、「湯鬼神(ゆきじん)」というナマハゲのようなキャラクターを散見するが、それはこの時に出来たのだろう。

登別観光案内の公式ブログによれば、「湯鬼神」は温泉の守り神で、アイヌ人女性の孫である。アイヌモシリに生まれた美しい娘が腫瘍で醜い姿になった。それは彼女を愛する神が敢えて病気にみせかけたのだった。彼女は神と結婚して六人の女の子を生んだが、その長女が登別温泉の山の神となり、閻魔に嫁いで九人の子を生んだ。その九人が湯鬼神として様々なご利益を持ち、厄払いをする、という。登別観光案内の公式ブログは、これを「古くからの伝説」とする(登別観光案内所/登別国際観光コンベンション協会 2012)。

1970年代後半以降は、鬼のモニュメントが量産されていく。「鬼祠」が建立されたのは、1978年で、「登別温泉開基120年記念事業」の一環であったとの由(鬼なびステーション登別 2012)。こうなると私のように、「鬼祠があるくらいだから古い文化なのかな」と信じてしまう人も出てくるのも無理はない。(?)

登別温泉4.png


騙されたくせに言うのも何なのだが、私はこの登別の一連のやり方を「うまい、面白い」と感じてしまう。何らかの意図のもとに、複数の伝統が接合される「シンクレティズム」は古今東西でなされてきた。この場合は、観光客呼び込みという目的の下、神と結婚する少女というアイヌ神謡のモチーフと「閻魔」「地獄」というインド由来の概念を含む大和の信仰が結びつけられているわけだ。

この登別の一連のやり方を、私はただ「うまい、面白い」と感じてしまうのだが、アイヌの人々はどう思うのだろうか。こうやってアイヌの地に大和の文化が伝わっていき、さも由緒のあるものであるかのように粉飾されていくことに複雑な思いを持つ人もいるかもしれない。

「鬼」という字は色んな意味があって、想像上の怪物や死者の霊魂の他、異民族、とりわけ異民族の侵略者を指す場合がある。

登別では、例によって中国人観光客をたくさん見たが、彼らは鬼のモニュメントをどう思っているのだろうか。まあ日本らしさを強く感じているのは確かである。

登別温泉1.png


参考文献
鬼なびステーション登別 2012「登別温泉はなんで鬼なの?」『鬼なびステーション登別』
2012/9/28(金) 午前 10:00
https://blogs.yahoo.co.jp/oninavi_noboribetsu/9939078.html
登別観光案内所/登別国際観光コンベンション協会 2012「これが温泉を守る湯鬼神だ!」『登別観光案内所/登別国際観光コンベンション協会・公式』2012/11/5(月) 午後 0:06
https://blogs.yahoo.co.jp/information_plaza2010/14266699.html

*鬼祠
〒059-0551 北海道登別市登別温泉町
0143-84-3311
(登別東ICから6q、JR「登別」から8q。登別温泉道沿い。地獄谷の入り口近く。第一滝本館向かい側。)
管理人の訪問日:2018年4月8日
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2016年02月29日

庚申塔(大阪池田)

ツタヤで「インサイド・ヘッド」なるアニメの宣伝をやっていた。ある少女の頭の中の「感情」を擬人化していて、その少女のために「感情」たちが大騒ぎしている。するともちろん「感情」にも「感情」があるはずで、このアニメの世界観の中では、「感情」たちの「感情」も人間のようでなければおかしい。するとその「感情」の「感情」にも「感情」があるはずで、、、とか考えると無限に人間のような「感情」があるはずなので、何だか怖くなってしまった。

DSCN7332.jpg


で、この感じ、何かに似てるな、と思った。そこで、以前池田の町でたまたま「庚申塔」の前を通りかかり、同じような思いにとりつかれたのを思い出す。

庚申塔は、庚申講というサークルが建てたものだ。庚申講は庚申待ちをするサークルである。庚申待ちは、庚申の日に寝ないでパーティーをする風習で、なぜ寝ないのかというと、長生きをするためなのだ。

平安文学なんかにも出て来るが、日本には「庚申待ち」という中国の道教思想をベースにした風習があった。ここでは人間の体には一人につき「三尸」という三匹の虫が住んでいて、人間のやることなすこと一々見ている。この虫たちが60日に一度庚申の日、宿主が寝ている間に天に上り、天帝にこの人の罪悪を報告しに行く。天帝がこの人の罪悪をたくさん聞くと、本人の寿命は短くなる。寝ないでいれば虫たちは人の体から出られないという設定で、だから庚申の日は徹夜するという風習が生れた。

三尸は虫とはいっても人間を監視し、告げ口が出来るぐらいだから、相当の知能があると思われる。だったら、この三尸にも三匹ずつ虫がいるのではないか。その虫にもそれぞれ三匹、その虫にも三匹、、、、とか考えると無限に虫がいるはずだ。

古めかしい庚申塔を見ながら、そんなことを考えていると、何だか怖くなってしまった。

*庚申塔(大阪池田)
(阪急「池田」と「石橋」の中間位。国道176号線「鉢塚」の交差点を200mほど北へ。)
〒563-0024大阪府池田市鉢塚3丁目
管理人の訪問日:2015年5月6日
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