2014年05月20日

殷墟宮殿宗廟遺址

追悼施設
中国河南省安陽市西北郊小屯
(0372)3932171
(バス15,18路「殷墟」下車10分)
管理人の訪問日:2014年3月28日

こういう所をトラウマ・スポットとでもいうのだろうか。子供の時に見ていたらしばらく悪夢が続いただろうと思う。河南省は安陽にある殷王朝の遺跡・殷墟に行って、暗澹たる気持ちになった。

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殷王朝は、紀元前16世紀から紀元前11世紀まで続いた中国古代の王朝である。殷墟は当時首都があったところで、住居、宗廟、宮殿などの建築跡と墓葬群が発掘された。

ただ、この「墓葬群」というのが曲者。エラい人の墓を造るのはいいのだが、副葬品として生贄まで一緒に埋めている。馬とか羊とかの家畜はもったいないと思う。あと、なぜかキツネとかカワウソとか、、、当時中原に生息していた象の骨まで墓の中から見つかっているらしいから、何を考えているのかと思う。

それから、「殉死者」。奴隷あるいは戦争捕虜を殺し、貴人の墓に一緒に埋めている。王や妃のクラスだと十数人という規模である。

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そんなわけだから、殷墟では結構な数の骨が展示されている。芝生の中に畑のように囲まれたスペースがあって、「ナニナニ墓群何号」の類の考古学的な名前が書いてある。そこで発掘されたお墓にガラスケースがかぶせてあり、上から見られるようになっている。そこになんだか骨がいっぱい入っている。それが馬骨だったり羊骨だったり人骨だったりするわけだ。(象骨もあったはずだが見なかった。)

何千年も前の話ではあるが、やはり気持ちのいいものではない。

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見ればいくつかの人骨のそばにタバコが落ちている。

なんとまあマナーの悪いことかと思ったが、吸い殻にあらず。すべて新しいタバコだ。小額紙幣も何枚か置いてある。

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殉死者に対する「現代人」からのお供え物としか考えられない。ガラスケースの上から物が入れられるような構造になっていないので、どうやってタバコやお金が置かれたのかは分からない。観光客でなければ、殷墟の整備に携わった職工か。学芸員や考古学者ということがあるだろうか。

ある人の指がナイフで切られても、他の人がその痛みを感じるわけではない。「自分は他者の痛みが分かる人間だ」と私は言えない。ただ、私も含めてたいていの人は「痛いんだろうな」位に思うのだろうと思う。

エラい人の葬送のために、死を強制された人たちがいた。もちろん今となっては何もできないのだが、できないなりに何かをするとしたら何か。

中国人の感覚では、それは幾許かの人民幣とタバコだった。
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2014年05月09日

曼嘎小廟

追悼施設
中国雲南省西双版納傣族自治州景洪市橄欖壩西双版納傣族園曼嘎古村寨
(景洪の西双版納バスターミナルからバスで勐罕まで行き徒歩で「傣族園」に入る。「傣族園」の中の村の一つにある。)
管理人の訪問日:2014年2月1日

神像とか位牌とか何かあってもよさそうなのに、薄暗い建物の中には、供物台以外に何もなかった。何かを祭った祠のはずであるが、ただの殺風景な小屋に見えた。

シーサンパンナのタイ族の村。明るく楽しい南国情緒あふれる所にあって、ここだけ妙に空気が違っていた。

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地元老人がお供え物を持って来ていた。果物や穀物に加え、バナナの葉っぱについた血のようなもの。老人は、それをただ供物台の上に置く。他にも参拝者が来ているのだろう。すでにたくさんそのようなお供え物が並べられている。

ちょっと雰囲気あり過ぎ。妙に胸騒ぎ。

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そうしていると、参拝に来ていた老人が祠のそばの木に吊り下げられた爆竹に火をつけた。何なんだこれは?不安は高まる一方だった。

ばばばばばばばーーーん!!!大音量で鳴る爆竹。

わーーーーん、こわいよーーーー!!!泣きそうになる私。

まず、何もないのがこわい。何もないところに血の生贄がアホみたいに捧げられている。何の神様か分からないが、何かいわく言い難い霊的なものがその空間に充満しているような気になった。

次に、訳が分からないのがこわい。何でそこで爆竹なのか、不思議でしょうがなかった。

ドイツの神学者、ルドルフ・オットーは「人が神聖さを感じる場合、その感情の中にはおののきとか怖さが入っている」みたいなことを論じている(Otto 1936)。私はすごくおののき、こわがったのだから、もしかしたらこの廟は「神聖さ」でいっぱいだったのかもしれない。

で、何なんだあれは、ということで、家に帰ってからちょっとネットで調べてみた。シーサンパンナの「曼嘎小廟」。ここは漢民族が入植して作った村で、その祠に祭られているのは、村を作った李道栄。毎年3月16日あるいは7月15日、及び春節は、漢族とタイ族の村民が供え物を持ってお祈りに来る(雲南旅游網 2011)。

名前が分かったら、拍子抜けしてしまった。そうか、李さんか。李さんなんて知り合いにもいっぱいいる。

爆竹のことは分からなかったが、春節の時に行ったのだから別に鳴らしていても何の不思議もない。

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してみると、ある空間が「神聖」だという感情をかきたてるには、その空間の意味が「分からない」方がいいのかもしれない。西洋人は、神社で名前も知らない神様を拝む日本人の宗教観をいぶかしがるようであるが(岡田2004:174-175)、むしろ知らない方が神社の神聖さが増す。

西行が「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる(どんな神様がいらっしゃるのかは知らないが、有難さに涙がこぼれてくる)」と詠んだのはよく知られている。正しくも、知らない神様に対して涙を流して感激していたわけだ。

あっ、でも、この時西行は、「自分が伊勢神宮に参拝していて、その神様が天照大神だということ」をはっきり知っていたはずだよね。知ってるくせに歌のネタにするためにわざと知らないふりをしたんだよね。これだから芸術家ってやつはいやらしい。

参考文献
岡田桃子 2004『神社若奥様日記 鳥居をくぐれば別世界』祥伝社黄金文庫.
Otto, Rudolf 1936 Das Heilige.=オットー、久松英二訳 2010 『聖なるもの』岩波文庫.
雲南旅游網 2011「神秘的曼嘎小廟」
http://www.yyn.com/Item/24602.aspx
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2014年05月03日

淮軍昭忠祠

追悼施設
中国江蘇省無錫市恵山古鎮
(10、15、16、83、89路「龍光路古華山路」下車)
管理人の訪問日:2013年9月20日

李鴻章が淮軍の戦死者のために、1864年に清朝政府に造らせた祠、「昭忠祠」が、恵安寺という寺の裏手にあった。

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清国のために死んだ戦死者のための祠だが、蒋介石の北伐の際、1927年に「革命忠烈祠」に替えられた。さらに共産党の革命後に「大同殿」という名に変わった。

つまり、政府系の慰霊・顕彰・追悼施設というのは、支配者が変わると意味づけも変わるのである。これはドイツの「ノイエ・ヴァッヘ」も同様だ。

私が行ったときは「昭忠祠」として展示してあった。今は過去の遺物扱いなのか。
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