2020年05月15日

今宮神社

少し前のことだが、「玉の輿」祈願だらけに違いないという独断と偏見のもとに、紫野の今宮神社に行ってみた。

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東京の今戸神社では恋愛祈願だらけだったから、あながち的外れな予想でもあるまい。実際、低い身分から将軍の生母まで上り詰めたとされる「お玉」ゆかりの神社で、盛んにそれを宣伝している。

http://gompa.seesaa.net/article/463526870.html

ただ、じっくりと絵馬を観察してみると、祈願内容は意外に多様であった。確かに恋愛成就を願うものは比較的多かったが、明確に「玉の輿にのれますように」と書いてあったのは、私がその時見た中では二つしかなかった。中には「今の人と別れてもっといい人と結ばれますように」というものもあり、縁切りと縁結びは表裏一体なのであるなあとしみじみと気づかされる。

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恋愛関係以外に合格祈願もあり、又病気回復祈願も多かった。

主祭神はオオナムチノミコト(大己貴命)、コトシノヌシノミコト(事代主命)、イナダヒメノミコト(稲田姫命)。境内摂社により古い伝承を持つ疫神社があり、こちらはスサノオノミコト(素戔嗚命)を祀る。

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ルーツを考えれば、「病気回復」が本来のご利益らしい。

神社のホームページによれば、994年に船岡山で疫病を鎮めるための「御霊会(ごりょうえ)」が行われ、疫神を1001年に現在の地に遷して祭礼が行われ、これが神社の創祀となったという(紫野今宮神社 n.d.)。

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この神社の花やかな「やすらい祭り」も、本来の趣旨は疫病除けである。鉾や花傘を持った人々の行列が練り歩き、赤と黒の鬼が笛や太鼓に合わせて踊る楽しいお祭りで、風流を凝らし歌舞することで疫病厄災を祓うことを願う。

これは「鎮花祭」の一種という。花の散る頃に疫病神も分散して疫病を流行させると考えられたことから、これを鎮めるために行われる祭りである。

美と残酷さが表裏一体になった、凄まじいコンセプト。

今年のこの祭りは新型コロナウイルス拡大のせいで中止になったというから皮肉である。

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関西のスサノオノミコトの神社は、神仏習合の時代はほとんど疫病除けの神・牛頭天王の社であった。現代にまさか伝染病がここまで流行るとは思っていないので空前絶後の気分になるが、牛頭天王系の神社の多さを思うにつけ、昔はこういうことが頻繁にあったのだと気づかされる。

参考文献
紫野今宮神社 n.d.「歴史」『紫野今宮神社』
http://www.imamiyajinja.org/history/

*今宮神社
神道
〒603-8243 京都府京都市北区紫野今宮町21
075-491-0082
(市バス46番『今宮神社前』下車すぐ、1番・12番・204番・205番・206番・北8番・M1番『船岡山』下車 徒歩7分)
管理人の訪問日:2018年11月24日
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2020年03月29日

薬祖神祠

阪神間の人間には兵庫県という区分けより摂津の国という枠組みの方がリアルなので、府県の境を越えるなと言われても如何ともしがたい。ましてやそこから山城の国まで毎日行っている身としては大変辛いものがある。

不要不急の外出は自粛せよとのこと。仕事に行くのは許されるらしいから、仕事のついでにちょっと寄り道するぐらいはいいのだということに決める。寺社めぐりは私のわずかでささやかかつ慎ましやかな楽しみだ。

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帰りは地下鉄四条まで乗ればいいのだが、一駅先の烏丸御池で降り、少し歩いて二条通りと両替町通りの交差点近辺まで行く。かつては薬問屋が集まっていたとの由。

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神社そのものというよりは、左右の建物のレトロぶりに感心した。

薬祖神祠は薬屋の同業者組合の祠で、祭神はヒポクラテスと炎帝神農とオオナムチノミコト(大巳貴命)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)とオオクニヌシノミコト(大国主命)である。

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ヒポクラテスを祀っているというのも、もうつっこむ気にもなれない。まあだいぶ前から知っていたし、、、

薬屋の伝統的な職能神としては中国の神農だったんだろう。大阪の道修町にも神農を祀った神社がある。
http://gompa.seesaa.net/article/405269919.html

それよりも、左右の建物のレトロぶりに感心した。

コミュニティに埋め込まれるように神社が建っているのは、京都ではよく見る風景だ。

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存在自体は30年ぐらい前から知っていて、30年ぐらい前からいつか行こうと思っていて、ふだん使っている通勤定期の範囲から一駅先まで乗ればすぐ行けるぐらい手軽に行けるので、逆にずっと行っていなかった神社。今世の中で病気のことが話題になっているな、何か病気がらみの神社に行ってみようかな、と思って、何となく足を向けたのである。不要不急の外出は自粛せよとのことだったが、仕事のついでにちょっと寄り道するぐらいはいいのだということに決めて。

アジア中どころか世界中に悲壮感が漂う中、しょぼい中年のしょぼい楽しみが何とかぎりぎり守られている幸せをかみしめる。

珍しく、賽銭をあげてしまった。25円。

*薬祖神祠
〒604-0855 京都府京都市中京区東玉屋町
(地下鉄「烏丸御池」下車、駅の北側、二条通りと両替町通りの交差点を少し西に入る。)
筆者の訪問日:2020年3月28日
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2020年03月11日

回向院(両国)

両国の駅を降りたら着物を着たお相撲さんばかりが歩いていた。こういう風景は他で見たことがない。

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両国の回向院は、死者10万人以上を出した明暦の大火(1657年)の無縁仏を弔うために、将軍徳川家綱によって建立された。

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おそらくその死が何らか社会に影響を与え得ると政府が判断した際は、政府の手によって慰霊が行われるのだ。非常に昔なら怨霊の慰撫であろうし、近代以降なら戦没者の追悼である。災害による大量の死者に対する配慮は今でも一大事であるが、江戸期もそうだったようである。

その後も、大規模災害による犠牲者の供養が行われた他、刑死者や牢死者もここで埋葬された(鈴木 2012:144-145)。

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それでとにかく色んな墓がある寺になっている。殉難者の墓もあるし、有名人の墓もあるし、ペットの墓もあるし、、、

ただ、慰霊のために建てられた寺は、特定の檀家を資金源とすることができない。楽しいイベントを通じて、客集めに勤しんだ。

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両国に国技館が建てられ、相撲部屋が集まっているのは、そもそも回向院境内で相撲の興行が行われたからである。境内の小屋掛けには五千人の観客が集まったという(Ibid:149-150)。

では、参拝客自体はどのように集めるか。成り立ちからして霊験や現世利益を喧伝できるわけではない。それで、「出開帳」を通じて、他所から霊験や現世利益を借りて来たのである。

神仏の厨子を開いて、ふだん秘仏となっている本尊・祖師像の参拝を許可することを開帳というが、他の寺社に出張して開帳することを出開帳という。

江戸時代に出開帳を受け入れた寺社は、深川永代寺58回、湯島天神31回、浅草寺27回、音羽護国寺25回。それらと比べても回向院の出開帳は飛びぬけて多く、166回である(Ibid:153)。

近年も東日本大震災復興支援のための出開帳(長野善光寺や気仙沼地福寺)をやっている。

出開帳というのは、美術館や博物館で有名寺院の宝物を展示することに取って代わられたと思っていた。江戸時代のようにお寺の中で他のお寺の仏像を拝ませるというのは非常に珍しいのではないか。

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東日本大震災復興支援も、出開帳も、両方とも回向院の歴史を十分に踏まえているのが面白い。

参考文献
鈴木一夫 2012『大江戸寺社繁盛記』中公文庫.

*回向院(両国)
仏教 浄土宗
〒130-0026 東京都墨田区両国2-8-10
(JR総武線「両国」の西口改札を出て、目の前の大きな通りを左にまっすぐ進むと3分で到着する。)
03-3634-7776
管理人の訪問日:2017年5月22日
posted by HIRO at 21:15| Comment(0) | 仏教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする