2020年03月06日

錫伯族家廟(太平寺)

そもそも、仏教寺院というのは本来の趣旨からいえば僧侶が修行をする場所であり、神仏を祭祀する場所でもなく、死者の追悼儀式をする場所でもないはずだが、アジア各地の多くの寺院でこれらが混同されている。

その点、チベット仏教では比較的原則が守られている。寺院は基本僧侶の勉学の場であり、僧侶が葬式はやるけれども墓や位牌は造らない、、、

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と、思っていた。だから、特定の民族の祖先崇拝と結びついたチベット仏教ゲルク派寺院が瀋陽にあると知って、大変興味を引かれた。

通称は「シボ族(錫伯族)家廟」。シボ族はもともと東北に住んでいたツングース系の人々で、16世紀、ヌルハチの時代に八旗に編入された。

実は筆者はシボ族と満州族がどう違うのかよく分かっていない。通婚していただろうし、非常に近い関係にあるようだ。

これを書いても守秘義務云々にはならないと思うが、筆者は現在日本語学校で仕事をしており、時折中国から留学する予定の学生が提出する戸籍などの書類のチェックをする。東北の学生は「漢族」以外にも割と「満州族」「シボ族」が多い。ただ両親のどちらかはたいてい漢族である。会っても周囲の漢族と同じ、というか、彼ら彼女らが来日する頃には誰が満州族で誰がシボ族だったかこちらは忘れている。このような少数民族の「漢化」の激しさは、筆者が青海のチベット人地区に居た時には見聞しなかった(そのうちチベットでも見聞するようになるのか?)。

とはいえ、筆者が学生だった時、清朝史の学者はシボ族出身者が多いと聞いたことがある。

1764年に乾隆帝の命令でシボ族の一部が辺境防衛のために新疆イリに移住させられた。周囲のイスラム文化の中で孤島のように旗人の文化が保存され、今でも新疆のシボ族には比較的満洲語が読める人が多いらしい。満州族の間で満州語ができる人がほとんどいなくなったのにも関わらず、である。

そのシボの人々がお金を出し合い、康煕年間、盛京(瀋陽)の実勝寺の近くに自分たちの家廟を建立した。これを太平寺といい、現在通称を「シボ族(錫伯族)家廟」という。

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で、出張で瀋陽に行った折にその寺に行ってみた。寺というよりもシボ族文化の展示館である。瀋陽市がお金を出してこのようにしたとのこと(中華人民共和国国家民族事務委員会 2014)。入口を入ると奇妙な銅像が目に入り、これがシボ族が新疆に遣られた際の行軍の有様を表現しているらしい。奥の建物にはシボ族祖先の位牌なるものが中に祀ってあり、その前に「シボ族西遷254周年」とかいう中途半端な数字を記念した幕がかかっている。

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行政の肝いりで毎年全国各地のシボ族がここに集まってイベントをやっているらしく、その時のものである。

展示の中にはシボ族の宗教がシャーマニズムとか関帝崇拝とか仏教とか色んなもののシンクレティズムだとか、いうことが紹介されていた。

狐仙を祀った堂宇もあったようだ。往時の知識人の基準では動物霊を祀ることは「淫祀」となるはずだが、旗人も華北の民間信仰の影響を存分に受けていた。

http://gompa.seesaa.net/article/395288655.html

ある建物には「シャーマン堂」と書いてあったので、ここでシャーマニズムの儀式をやるのかもしれない。のぞけばツォンカパ像が祀ってあったから、やっぱりチベット仏教寺院であることに間違いはない。

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表向き仏教で、実は「祖先崇拝+原始宗教」というのは日本仏教も同じである。一年に一回親戚が集まって先祖を記念するイベントをするのも同じである。現代のシボ族はさほど宗教に関心のない人が多いみたいなのだが、それでもイベントには集まって来る、というのも日本と同じである。

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中国当局にしてみれば、新疆もチベットも中国で、シボ族の存在はその象徴みたいなものである。大々的に宣伝しない手はない。

関係ないけど、今年はいつから留学生が来日できるのだろうか。私は瀋陽に行く機会があるのだろうか。

参考文献
中華人民共和国国家民族事務委員会 2014「遼寧省瀋陽錫伯家廟」「中華人民共和国国家民族事務委員会」
http://www.seac.gov.cn/seac/mztj/201403/1012256.shtml

*錫伯族家廟(太平寺)
仏教 チベット仏教 ゲルク派
中国遼寧省瀋陽市和平区皇寺路一段太平里21号。
(地下鉄2号線「市府広場」下車。市府大路を少し東進、北三経街で北上、皇寺路との交差点まで行くと、実勝寺がある。実勝寺の前の道を少し西に入る。)
管理人の訪問日:2019年4月27日
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2020年03月01日

玄妙観

昔は「カイガイシュッチョー」というのは一部の人たちのものだったのだろう。今は国境など関係なく、色んな人が頻繁に往来する。「ぐろーばりぜーしょん」というやつか。

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私も2019年に6回中国出張した。出張で空き時間があるとお寺に行く。

蘇州に行った時も空き時間が出来たので、久しぶりに玄妙観に行ってみた。

道教正一派の大寺院である。西晋の3世紀の創建というから相当に古い。

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私が最初に行ったのは1992年で、そのころは門前も静かな感じだった。だんだん商業施設が増え、それなりの繁華街になった。

92年当時から最寄りのバス停は「観前街」という名前だったことを覚えている。「観前」という名前は宋代からあったらしい。昔から寺を中心とした門前の賑わいがあったのが、文革で宗教活動が停止し、改革開放以降に周囲も含めて復興していった様子を見ていたわけだ。

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日本でいう「門前町」という感じでもないのだが、確かに高いビルなどはなく、比較的色使いも統一されている。大手外食チェーンなどもあるが、まあまあ寺院に合った景観を考えているようである。「ぐろーばりぜーしょん」というやつか。

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お寺自体も商売をするようになった。2012年に行った時、拝観時間を過ぎても、門前で玄妙観が経営する金細工屋さんは開いていた。中は当然黄金一色。売る人も買う人も非常に熱心。ネックレスやらブレスレットやらだが、すべて道士が「開光」したものだという(日本風に言えば「お性根」が入っている、という感じか)。

共産党は国内の宗教団体に「以寺養寺」を勧めている。もともとは農地経営やお布施のような「搾取」なしに自活させるという「社会主義的」な意図だったのだろうが、お寺がこうまで金もうけに走るようになっては、むしろ「社会主義市場経済」にマッチしているものに見える。

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お寺の建物に入っている色んな土産物屋さんの類も、お寺がテナントとして貸しているものだろう。石造りのシックな寺院建築に白人風のマネキンが何ともミスマッチで楽しい。

大手外食チェーンなどは寺院に合った景観を考えているようであるが、あんまり景観なんか考えない方が中国らしくていいと思うのは私だけだろうか。

「ぐろーばりぜーしょん」は色んなものを行き来させる。私ですら「カイガイシュッチョー」するようになった。2019年は6回中国に行ったが、2020年は行けるかな。

★玄妙観
道教 正一派
中国江蘇省蘇州市平江区観前街94号
(バス1、102、146、178、202、502「観前街」下車すぐ。地下鉄4号線「監察院」下車、歩行街を東進。)
管理人の訪問日:1992年某月某日、2012年7月12日、2019年9月19日
ラベル:道教 江蘇 中国
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2020年02月24日

光照院

京都では「京都非公開文化財特別公開」というのを年に何回かやる。ふだん観光客が来ないような「尼門跡」の寺が見られたりする。

「門跡」というのは江戸時代までの皇族や摂関家の子弟が住職となる寺院のこと。「尼門跡」はその女性版である。

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「尼門跡」光照院は浄土宗の寺。14世紀に落飾した皇女によって始められた。

高貴な人の入る格式の高い寺院、、、しかし、寺自体は小ぢんまりしていて、古めかしい、田舎の小さなおうちという風情。尼様たちが実に慎ましく生活していた往古がしのばれ、いわく言い難い物悲しさがあった。

仏殿以外に常盤会館とかいうだだっ広い建物を公開していた。入っても何の建物か分からない。何もないスペースが広がっている。ただ、赤いじゅうたんが敷き詰められ、不気味な日本人形の写真が壁に飾ってある。何ともレトロな殺風景さ。学生の案内人のたどたどしい説明によれば、昭和天皇の即位の時の晩餐会に使われた場所の一部が下賜されたものとか。

プライドだけで生きるのを強いられた人々。その残滓が町の片隅にひっそりと息づいている。

◎光照院
仏教 浄土宗単立
京都府京都市上京区新町通上立売上る安楽小路町425
075-441-2254
(地下鉄烏丸線「今出川」下車、今出川通を西進、上京区役所の西側の道を北上。徒歩10分。)
管理人の訪問日:2019年11月2日
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